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イル・セパラティオ、原初のマトリックス

コメントでご紹介があったイル・セパラティオに関する海外ブログ記事の翻訳となります。
https://survivivore.wordpress.com/2012/05/17/il-separatio-the-primordial-matrix/
表記ブレ等はご容赦ください。一応全部翻訳しましたがおかしい部分があると思いますので、これをたたき台として原文参照をお勧めします。用語などについて適宜Wikipediaにリンクしています。


モットー:
『三つ組は宇宙のあらゆる場所で輝く。モナド(単子)はその原理である』 ファーブル・ドリヴェ– Vers Dorésより(訳注:Les vers dorés de Pythagoreか)
『私は不死であり死、また私はアルジュナ、存在であり非存在である』 バガヴァッド・ギーター 、IX.19

イル・セパラティオの伝説

コデックス・ルブグルム(1535年発行の写本)は未だ残されるヴァチカンに禁書とされた作者不明の中世の本の一つであり、異端審問の長年の取り組みから著者を保護できるのは匿名性だけであった。中のページには、かつて問題視された強いシンボリズムを持ったキャラクターが現れ、それは私たちのスピリチュアル的な実存の足場全体を保存することができる。これがイル・セパラティオ(Il Separatio)、セパレイター、分割する者である。
伝説によると、時の始まりにおいて、完全な暗闇からの光の分離とともに境界が作られた。この境界は真の名前が語られることがない存在を表す:それがイル・セパラティオまたはアノニムスである。

コデックス・ルブグルムは、アマンテスという名前の高貴な生まれを持った騎士の物語を示す。実際には、敵から逃げるために雇われた暗殺者(この行動は12世紀に行なわれる)である。彼は当時プロフェッショナルとして名が知られていた。失敗したことがなく、どんな時でも、誰でも殺すことができ、被害者の影響力は関係なかった。相手を選ばず、選んだのは仕事の報酬額だけだった。彼の被害者には王や王子、公爵夫人、さらには有名な聖職者もいた。彼はヴェネツィア人やジェノバ人、または支払う余裕のある誰にでも金を請求した。

この傭兵は50歳頃に啓示を得た。彼は自分が殺した王たちの一人が良き品行方正な男だっまと気が付いた。彼の唯一の悪事は自分の民を守るためのもので、死に値するものではなかった。その瞬間から、この傭兵は自分の考え方を完全に変えた。一人ずつ、彼は憎むべき犯罪を命じた人すべてに復讐を開始した。その過程で、彼らの血に飢えた欲望すべてにおける重要人物を見つけ出した:それは地下牢のどこかで横たわる老僧である。彼の理論はその時代の最も影響力のある人々の間に危険な雰囲気を作っていた。この僧は翌朝には車輪刑によって処刑されることになったため、アマンテスにはこの僧を助ける計画を実行するのにわずかな時間しかなかった。アマンテスは夜に侵入し、病気の老人を地下牢から出した。背中に老人を背負ったまま、彼は警備兵数人と戦う必要があった。アマンテスは深刻な怪我に見舞われた。彼の傷は命に関わるものではなかったが、隣村までの過程で出血によって死ぬかもしれない。近くに村はなく、彼ら二人は森の中で止まった。老人は彼に『神の祝福あれ』と語るが、アマンテスは天国も地獄も信じてはいないと返答し、ある行動をする決断を下した。彼は老僧に別れを告げ、一人安らかに死ぬと言った。その後彼は地面に剣を打ちつけ、体から全ての血液が流れ落ちるのを待つことにした。その頃には老僧は消えていた。

地面に穴が開いて強力な悪魔がアマンテスの元に現れた。悪魔は彼に、犯した大量殺人の褒美として多大な尊敬とともに地獄へ連れていくよう送られたと語った。アマンテスは剣に手を置き、想像を絶する勇気をもって答えた:『私と一緒にいて簡単な一生を過ごせると思うな! お前たち悪魔の骨で宮殿を築くと誓おう、下がれ!』
その瞬間、光の天使が現れて闇の天使に語りかけた:『彼はあなたのものではない! この者の魂は終わりの数年間は良いことをした、それは人生の悪しき行ないを超えた。神は彼の罪全てをお許しになった。彼は私たちとともに天国へ行くのだ。』しかし闇の天使は抵抗し、両天使は剣を引き抜いた。

天使たちを激しく恐怖させることに、まさにその瞬間何者かが現れた。天使たちは何者かを知っていたが、これまでに見たことはなかった。コデックス・ルブグルムの記述によると、彼を見たことがあるのは二つの存在、神とルシファーだけであり、それも一度きりだった。この者がイル・セパラティオ、フード付きマントを身に纏い、その下に顔や手足があるのか見ることはできず、腰にはロープが結ばれている。イル・セパラティオがサインを作ると二人の天使は恐怖におののいた。彼は言う:『両者とも間違っている。この男は悪行と同じほど善行を成した。よって今すべては均衡を保っている。どちらも彼をとることはない。』
イル・セパラティオの絶対的な力は天使たちを即座に消し去った。そして最後の言葉を騎士に向けて話す:『立ち上がれ、もう傷はない。あなたは望むだけ長く生きるだろう。もし悪行をなしても、それは問題ではない。善行をなすために他の人々が誕生することによって、バランスはそれを相殺する。もし善行をなすと決めても、変わらず問題にならず、悪行をなすために他の人々が誕生する。あなたはもはやこの宇宙のために存在するのではない。この種族が絶滅するまで望むだけ地上で生きるのだ。あなたは精神の力で望む場所どこへでも行くことができる、それがこの地上に存在しない場所であっても。あなたがすべてに満足したならば、それが今から10億年後であっても、私を呼びなさい。私たちの存在意義を説明しよう。』

イル・セパラティオは即座に消え、伝説によると、その騎士は私たちの間に今も生き続けてさらに理解しようとしている。善とは何か、悪とは何か、そして何故かを。これがこの物語の大きな謎である:何故なのか。

(写本の個人コレクションを持ち、資料の要約をシェアすることを許可してくれたCodrin Ştefănescu氏に多大なる感謝を)

マトリックス

この伝説は原初のマトリックスについての象徴図である。
最も進歩的な現代の宇宙物理学者であるNassim Harameinは、この伝説が私たちを理解しがたい場所に沈めるだろうと断じている。
宇宙の形成に関する彼のキーコンセプトの一つは、その形成以来、膨張の過程で常に反力が含まれているということである。私たちがそれを考えるにあたり、膨張した風船を思い浮かべると良いと彼は言う。誰かが内部に空気を吹き込まなければならないが、それを行なう人物の肺は収縮している。こうして収縮-膨張のプロセスが起こる。『あらゆる作用には同等の反作用がある』、物理学の第一法則を強く主張する。Harameinの理論に加えて、このメカニズムを大規模な形で実現するためには基礎的なマトリックスが必要である。これは非常にコインシデンチア・オポジトルム(coincidentia oppositorum、対立するものの一致)で、対立する系の生成ではあるが、それ自体ではない。

基礎的なマトリックスは実際には三つ組でできている:中央の平衡によって支配される二元の原理である。この概念の再構築のために、科学用語を使って伝説の概念に直接置き換える必要があるだろう。
宇宙の形成は光の膨張と密接な関連があることが一般的に認められている。観測可能宇宙全体は光の最小の粒、光子からできている。同時に対極では、収縮していなければならない。真空は収縮の一部である。Nassim Harameinによるとこれは、真空は空虚ではなく失うことも得ることもないエネルギーで満ちている、という結論に至る。この原初のシーケンス(連続体?)は更なるバランスを生み出し、同時にそれは最初のマトリックス・ディビジョン(division:分割体?)となる。ここにイル・セパラティオの意義がある。なぜ神とルシファーは以前にたった一度だけ見ていなければならないのか、今では理解可能である。彼はこの最初の三つ組における平衡であり、同じくこれらの境界であり、分割体の無限の可能性にあるその巨大な力の収容能力である:それは創造の最大限の解決で、神秘的な視点からでさえ、神とルシファーの両者は変わるがわる正と負のパラダイム(枠組み)の転換を生み出すという真実を与える。イル・セパラティオは中心の特異点、断固たる力として残る。

もし私たちが平衡の原初マトリックスを無限の可能性を持つ無限の存在として考えている場合、そのディビジョン(division: 分割体? )の前半部がその特異点の中に別のイル・セパラティオ境界を含むことに気が付いただろう:それは大きな無限と小さな無限。伝説では、小さな無限は騎士アマンテスとして擬人化される。
そして、無限は有限とともに別の二元のシステムに含まれる。
原子を有限の基準としてみよう:私たちは有限な数の原子からできている。しかし再びだが、原子は無限に分割できる(訳注:フラクタル参照)。それゆえに、原子はイル・セパラティオの印を生み出す。つまり特異点、マクロとマイクロの間の境界、したがって情報の無限の可能性を含む、99.99999%の空間/真空から構成されているものとして。原子は空間の分割体に過ぎない。その電子は負の電荷を持ち、原子核はそれに引き付けられるかわりに正の電荷を帯び、電子は光速でその周囲を回転する。これが真空の無限の束縛を通じて、継続して宇宙の残りと繋がる特異点を原子の中心が含まなければならない理由である。真空に伝達されるものは宇宙にあるすべての原子のすべての特異点に同時に放射できる、なぜならすべての原子には同じ特異点があるからである。同じであるため、エネルギーまたは情報のすべての伝達はすべての原子において同時でそして完全に位相が揃っている。この理由のために原子のエネルギーは決して使い果たされることはない。真空のレベルで再循環、再利用されるだけである。(Nassim Harameinによる)

その結果として、無限と有限のシステムは対立されるが、それは上位のイル・セパラティオ原理であり、基盤において、ディビジョンを作るものの原理である。二元とはフィードバックを支援する役割を持つ相反するものを意味する。マクロのレベルにおいて、イル・セパラティオは神とそれに対する力、悪の原理を必要とし、同様にマイクロのレベル・物質世界では、一種の不死を保証する次元を超えた巨大な力で今から活性化することを理解する一般人(騎士アマンテス)を必要とする。しかしより深い分析では、この力はより小さな決意(solution、分解能?)で表される。これがアマンテスが無視できるほどの量になった理由である:彼が存在するか、もしくは無限に存在することができるか、善か悪かといったことは問題にならない。

騎士 – またはより良くいうならマイクロレベルにおけるイル・セパラティオ(ズ)の作品 – は、最初のディビジョン(光と闇の分割のこと?)に関する気付きを生み出す役割を持っている。もしある瞬間に善の原理が圧倒する場合、バランスは悪の原理を活性化させるように傾くだろう。善と悪の存在はしたがってイル・セパラティオの中立にある平衡によって統制される。
全体として見ると、私たちは容易に気がつくことができる、全体論的レベルにおいて、大きくクローズアップして、この並列性のフィードバックを:それは上位のそして下位のレベルにおけるイル・セパラティオの表現である。興味深いことに、それらを相互に繋ぐものもイル・セパラティオである:つまりは“As the sky is the earth, but in an earthly way, and the earth is the sky, but in a divine way.” (Eugenius Philalethes)である。
(訳注:空が大地ならば地上の方法で、大地が空なら天上の方法で?良い訳がわからないので原文。エウゲニウス・フィラレテスは哲学者で錬金術師トマス・ヴォーンの偽名)

天文物理学者Nassim Harameinが取り上げる明確な問題は、現在の量子物理学において弁解できない間違いがなされているということである:それは大きな無限(『意地悪な』無限、と彼らは言う)の切り捨て – もちろん通分・約分による近似値 – で、これは計算で毎回現れ、他の簡約化された計算に繰り込まれなければならない。『統合量子場の現在の理論は、真空のエネルギー密度の繰り込みの過程によって除外されるだろう。それは通常無限である、繰り込みの過程で除外されない限り。』(“Gravitation” – by Misner, Thorne & Wheeler)
『たとえどんな空間が私たちの心にあるのかを今までほとんど想像できなかったとしても、共存する真空のこの非常に混乱する問題が生じる。プランク定数(1.616 x 10 – 35 m)において真空の密度は無限(1094 g/cm3)だと計算されている。この繰り込みのため、事実上宇宙に存在する全てのものは空間のcm3内部に収まらなければならず、それでもその密度を持つことはないだろう!』 – Nassim Harameinは 声を荒げる。

カバラーには完全に圧倒的であるが、あまり知られていないそれぞれが神の特質に関する極性力学の次元がある:それがセフィラである。これらのうち、いくつかは男性的特性を持ち、他は女性的性質を持つ。しかし、セフィラは行動中に同時に男性的(アクティブ)にも女性的(パッシブ)にもなる! 各セフィラは先行するものから受け取り、続くものに伝える。各セフィラはその先行するものにとって女性的またはパッシブであり、続く次のものとの関連においては男性的またはアクティブである。イル・セパラティオはあるステージから他へ至る道にいる。科学的な答え:それは周波数規模の共鳴の変動を表すにすぎないため、変成は可能である。すべては空間の無限規模内部の分解能(?resolution)である

科学はそれを全て確認することができる。アメリカ人研究者Nynke van Berkumは、ヒトゲノムの三次元構造を解読した。彼は細胞核内の情報密度がコンピュータのマイクロチップよりも数十億倍大きいことを発見した。彼の発見の最も驚くべき部分は、ヒトゲノムが二つの異なる区画からなっていることである:タンパク質に到達可能なアクティブ遺伝子、未使用のDNAによって分けられたものが貯められている。染色体は一方の区画から他方へ繰り返し移動し、それらのDNAは回路の度に毎回アクティブまたはインアクティブになる。まるでセフィラのように!

しかし私たちの旅に沿って、別の領域に戻るのは魅力的だ:別のマトリックスの機能性について考えてみよう、今回はヒンドゥーの三神一体:ブラフマー(創造者)、シヴァ(破壊者または変身するもの)、ヴィシュヌ(維持者、遍く満たす者)である。ヴィシュヌが踊り続けている限り、宇宙の平衡が保たれると言われている。
キリスト教において、聖三位一体における聖霊は全く同じ性質を持っている。これは自律的な力、流出(訳注:流出説のことか)であり、イル・セパラティオの形の一つである。もし私たちがヴィシュヌや聖霊を心の中で視覚化できるとしたら、おそらくそれらを空間として想像するだろう。

カバラーにおいて、72あるうちで最も代表的な神の神秘的な名前は、IEVE:Yod-He-Vau-Heである。

Yod:アクティブな原理、自我(エゴ)

He:パッシブな原理、非我(ノン・エゴ)

Vau:アクティブとパッシブな原理を再結合する中間項。自我と非我の繋がり。

He:世界から別のところへの道を示す。推移。

この三つ組が、かつて繰り返されて別の機能を得る要素を含むことは魅力的である:それはある領域から他方へ道を作り、構造を折り畳む。これがその本質がYodだと考えられる理由である。

その他の三つ組:

アクティブ パッシブ これらの相互作用によって生まれる 中性
子供
気体 固体 液体
ポジティブ アクティブ 中性
引力 拒絶 平衡
1 2 3
+ 0, ∞
オシリス イシス ホルス
現在 過去 未来
運動 静止 平衡

カバラー的原理からのその他の抜粋:
対立するものの間にはそれらから生じる仲裁者が存在する。
対立するものは、一つのものを異なる角度から見た場合の理解に過ぎない。

全てが三つ組だったとしたら?

もしもすべて、完全にすべてがこのマトリックスによって機能するためにあったとしたら? 私たちを1としてみよう。周囲は現実、顕現のあらゆる形式で囲まれてもいる、これが2。その間には何が? 空間である。それは満たされる、または空っぽにされるために存在する – 実質的に言えば、意味に関しては役に立つだろう。
90年代終わりの少し前に聖なるマトリックス(Divine Matrix)の科学概念が現れ、量子物理学の父であるマックス・プランクによって支持された。そのアイデアは二つのものの間にある空間は空っぽであるという考えは間違っているというものである。中間には、何も無かったとしても、事実上は無限のものが存在できる可能性がある。思考が祈りを通じてすべてを変えることができるというのは偶然の一致ではない。

スピリチュアルやエソテリックな教師は、数千年前に、身体は言葉や感情・思考を通じてプログラム可能だと知った。現在それは科学的に証明されている。DNAは言葉や特定の周波数に影響される可能性がある(G. FosarとF. Bludorfによる)。ロシア人言語学者らは、DNA内のアルカリ性分子がすべての人類言語に使われる共通文法規則に従うことを発見している。言い換えれば、人類言語は不規則に表れているのではなく、それらはDNAパターンの結果である。生物物理学者で生物学者のP. Gariaevは、DNAの振動反応についてある周波数におけるそれぞれの影響を調査している。結論:生きているDNA(細胞組織内であり、試験管内ではない)は言葉や文章・電波によって変調されたレーザー光線に即座に反応する。したがって、なぜアファメーション(肯定的な宣言)や催眠術、ポジティブシンキングが人間に強い効果をもたらすことができるのか理解できるようになる:それは最終的にいくつか遺伝子のデフォルト(不履行?)を修復する。さらに:Gariaev氏はDNAから情報モデルを捕捉して、それらを別のDNAへ伝達しており、この方法で細胞を別の遺伝子に再プログラムしている。したがって、彼は求心性の情報モデルの伝達によってであり、遺伝子の変更はなく、カエルの胚をサラマンダーの胚に変形した。

ロシア人研究者らはまた、人間のDNAが真空中に形態学的パターンを作り、磁気ワームホールと呼ばれるものを生み出すことを発見している。これらは有名なアインシュタイン-ローゼン・ブリッジの顕微鏡的な同等物であり、宇宙ブラックホールの近接にあり空間の二つの極めて離れた点の間に繋がりを作ることができる、時間・空間を超えて情報伝達可能な一種のショートカットである。
DNAはミクロコスモス(顕微鏡的世界)から情報を引き付けてそれを私たちの意識に伝達する:それは放送されている周波数に応じて、一度に複数の放送局から受け取ることができるラジオのようだ。さらにカスタマイズするために、生物学的物質に対する意識の力を使うことによって、生物学的変成(バイオアルケミー)が同じ方法で作用する。

(上記で言及した研究者らに関する情報は科学メディアから引用されている)

神聖幾何学の要素

概念はそれ自身のために存在するのではない。それは宇宙に既に存在しているパターンで、マトリックスは予想され・期待され・求められた投射(予測?projection)に従ってもたらされる。新しい意味を生み出すという目的において存在する必要があると考えられる出来事や態度を投射する観点から、マトリックスは神聖な空間であり続けなければならない、既存と同じほど存在し続けなければならない。

人間の心によって投射された神聖さは二つの性質をもつことができる。神聖さは存在する全てのものであり、その意味するところを私たちは未だ知らないか、新しい意味を与えていないものと関連する;しかし神聖さは未だ存在しない可能性もあり、しかしもしそうだったなら、私たちはそれに両極性を与えるだろう。神聖さの力学は動き、つまり伝搬である。私たちは新しい次元の創造を、時間の下位(基本?位格?hypostasis)から新しいものへの動きによって理解する。動きの中にあるあらゆる下位次元は上位次元を生む。したがってあらゆる下位次元は上位次元の一部である。

点は次元より下位の分解(?resolution)である。そして意外なものである:あらゆる線は正面から見れば点である。
Harameinは学校で実施されている科学カリキュラムに関する打倒すべきもう一つの障害を明らかにする。古典幾何学において、点はゼロ次元の空間として定義されるが、言い換えればそれは次元を欠いており、存在しない。論理的拡張から、線は1次元の空間で、点の連続体である – それは前述の理由から存在しない。平面は2次元の空間、より正確には空間でなく繋がった線だが、どちらにせよ存在しない。体積は3次元の空間である;これのみ現在では科学が実在の次元として存在すると認めている。一見すると論理的な科学的解説は全くの誤りで、Harameinの意見では、より根本的な再配置に準じる:点(存在しない)は線(存在しない)を生み出したのち平面(存在しない)も生まれ、最終的にこれは体積(立方体のような)を生む。驚くべきことに、これは突然次元として見られる。問題はそれゆえ – どのように存在は非存在に起因できるのか? Harameinはこの問題が私たちの物理法則の理解の非常に根幹的なところにあると考えている。

その力学において、線は限界、それぞれ軌跡と見なされる。
限界は二つの相対する原理の間の境界である – この私たちの文脈の中では、神学的視点から、善と悪の間の境界である。
進化または何かへのアプローチの意味において、線の軌道は点の基本(hypostases)を意味する。この進化は経路としてしか存在できないが、その生成の別段階のための前基本(pre-hypostasis)として設定される。しかし、この特定の段階において、今のところ直線であるためにこれは起きないだろう。

円は点-基本の有限な蓄積に他ならない。
すべての人間は目的に関してそれらの軌道を理解する必要がある。しかしこれは神聖化された形の下でのみ活性化できる。人間は神聖さ(これは状態である)を生み出すことはできず、人間は神聖さに到達するために行動することができるだけだ。カバーするためのたった一つの可能な行動(故意に、態度的に、結果の連鎖として)は、線の円への変形である。軌道の始点は不足や欠乏によって決定されたマイナスの極性で、終点は望まれたプラスの極性なっていると理解可能になる。

円は中心(locus)として状態のシンボルである。人間が彼の軌道が可能な全体の生成に気付く瞬間を正確に表している。線の先端は結合され、マイナスとプラスは中和される。したがって、形作られた円はヘルメス的(hermetic)マトリックスとなる。私たちはかつて到達したものに影響を与えることはない。引き換えに、今や別の段階に行かねばならないために、意識は進化に向かって押し出される。この段階の円運動は既に回転になる傾向がある。

三つの可能なシーケンスを上述の考察の続きとして区切っていこう。
1) 円の内部、セクションはいつでも作ることができ、分割セルのパターンに準じる。

2) グレート・マトリックスのモデルはこの段階でさえ機能し始めるだろう。最もよく知られたマトリックスの一つは[入口]-[空間]-[出口]であり、これは神聖さの人間創造は神聖な者とはかなり異なっていることを示す、そのパターンはコインのプラス面とマイナス面、そして周囲(縁、端)の中性区域として。人間は積み重ねているものをさらに伝達しなければならない。限界はこの時まさに円の線となる。したがってイル・セパラティオは二つの順番(?orders)の間の境界としてみられる:円の内側からと外側からである。これら二つの間には入出という極性と求心性のフィードバックがある。

3) 点のプラスとマイナス部分にかつて残っていたものは中和され、円運動の中で意識は長く残ることができない、特にこの瞬間は極性を失っているからである。今では投射によって、最初の円の端を中心とした別の円を作ることができる。二番目の円は別の意味・目的を表し、神聖さを創造することの重要性と同化しているならば、それは意識によってより容易に実現されなければならない。私たちはここで時間における三つの瞬間を識別できる:円の(現時点の)ゼロ瞬間、遡及的衝撃のある瞬間、そして新たに投射された円であり、これは満たされなければならない。

周囲に(点Bを含む)地平線を置く点Aは円を形成する。しかし点Aが点Bの地平線になる必要もあり、そして点Bは回転によって点Aを通る円形の地平線を形成する。中間にある空間、ヴェシカ・パイシス(二つの円の交差によって作られる形)は子宮のシンボルであり、もちろんどういうわけか幾何学的な愛の干渉である。図像学では、ヴェシカ・パイシスは天国への上昇の場面における聖霊を表す。創造における聖霊の役割は、物体に形を与えること、潜在的な形で存在する生命の引き金を引くこと、そして神が準備した運命に導くために生命の発展への方向を与えることである。彼の創造は人間の精神と神聖なものとの相互接続である – したがって変成は下位の次元から上位の次元に向かって行なわれる。

中性。ゾーン。
三つ組 neuter(中性)/ neutrality(中立状態)/ neutralization(中立化) に注目し始めるのは魅力的だ。neuterのカテゴリーは状態(neutrality)を行動(neutralization)と同じくらい含む。後者はそれぞれ負(negative)、正(positive)であるだろう。(一般的に、日々の生活の中で、私たちは常に中立化を活性化している。誰かを刻むネガティブな出来事は、その好ましくない結果について私たちが受容し、理解し、それによって管理されることで絶滅する可能性がある)。これが存在・状態・行動のマトリックスがアクティブな原理とパッシブな原理の両方をどのように含むかである。

イル・セパラティオがより小さなスカラー次元のゾーンになり得る事実について説得力のある例は、言語学の分野に関係する。相互作用(interact)、介入(interpose)、仲裁者(intermediary)という単語は、違反によって形成されたゾーンを示す。単語『禁止(interdiction)』は次のことを意味する:それは知覚を正や負に極性化することによって動作する;そして負の考えを強調し、標準の知覚に従って否定性をもたらすものを絶滅しようとする

英語文法には別の例がある。様式(Modality)は話者の主張とみなされる態度を表す文法概念である。不/可能性(im/ possibility)、無/能力(in/ ability)、非難(reproach)等のような多数の様式ゾーンには特別な三つ組がある:それは、義務感(obligation)/義務感の欠如(lack of obligation)/禁止(interdiction)、である。義務感の欠如はあなたが特定の行動を取ることを強制されないことを意味する。それとは別に、あなたはそれを実現するために選ぶ(書いている必要はなく、書くべきではない)ことだと示す意味があり、ここで『書く(write)』は中性のアイデンティティを持ち、意図だけが極性を変更できる。

厳密に神学的に見なすと、イル・セパラティオは本質的には中立状態のシンボルではなく、高いレベル(神のレベル)での二元原理の絶滅のシンボルである。至高の神は、その基盤が善の原理のみにある一者(the One)ではなく、反対の悪にもある。イル・セパラティオによって区切られた二つの計画(意図?plans)はこの無限の対立にのみ存在することはできない。そこにはそれ以上の進化はないだろう。平衡はその中間、一種の無人の土地(無神の土地)から支持されなければならない。

これは最近ナグ・ハマディ遺跡から発見された、ユダの福音書における特に基礎的なメッセージである。
福音から別のものにますます悪魔化された後(最も古いマルコの福音書からヨハネの福音書まで、聖書的事実のこれまでより重要な双曲化の間には膨大な違いがある)。ユダは今グノーシス主義の伝統に近似されている。かれはもはや裏切り者としてではなく、他の弟子たちよりもさらに進歩した英雄として見られている。下記の引用はそれを説明するだろう:

[最後の晩餐にて、食べ物に祈っていた弟子たちに近づき、イエスはどういうわけか皮肉的に笑い始め、祈っている彼らに尋ねた。彼らは世界の創造者、神に祈っていると答えた。それは彼らが祈るべき神ではないとして、イエスは彼らを否定した。十二使徒は非常に混乱した、ユダ以外は。イエスは彼らに言った(大まかな翻訳):『あなたがたの中で最も強い者が立ち上がり、彼の中にある私に真のスピリチュアル存在を示しなさい。』ユダは立ち上がって言った:『私はあなたが誰で、どこから来たかを知っていますが、私はあなたを送った者の名前を発するに値しません。』返答:『他の人から離れて、私は天の王国の秘密をあなたに話すだろう。それは偉大で、天使が見たこともない無限の領域であり、心の思考で理解されたことはなく、名前で呼ばれることは決してなかった。』
別のエピソードでは、ユダはイエスと次の会話をしている:『神よ、私は自分自身を幻に見ました。私を殺すために弟子たちは石を投げていました。』『あなたは他者に呪われた十二使徒となるだろう。…あなたの星の光輝は他の者すべてを暗くするだろう。あなたは彼らすべてよりも偉大になるだろう。あなたは私の服を着る者を犠牲にするだろう。』 – これは主要な聖書の登場人物の幻における壮大な極性化がある。

グノーシス主義にとって、イエスは身体という枷から解放されるために死ぬべきでした – 身体も復活もグノーシス主義にとって重要ではありませんでした。重要だったことは身体は死んでも精神(spirit)は残るということでした。この福音書は公衆読書のためではなく、むしろ進歩した教えのためでした。教会が今日のようにこの考えを異端と決めても不思議はない。

そう長くない昔にもっぱら神秘的と考えられていたオーラ現象には、今では科学的な説明がある。宇宙のどこでも見つけることのできる向心力は、錯覚の放射を生み出す。よって私たちと全てのものは恒久的に中心の方向にに向かわされるが、私たちは全てが中心から離れているという錯覚の三次元放射の中に暮らしている。私たちはこれを現実と呼ぶ;エソテリックな理論は内面化(内部へ感覚を引き抜くことによる無限の『視覚化』 – 小さな無限)の遠心現象を議論に持ち込む。実際に一度実践すると、あなたはオーラを放射し始める。人間が無意識に特異点へと引き付けられるレベルで、エネルギーの輝きは収縮と膨張の間のフィードバックとともに増加する。このようなフラクタルにおいて中心をどのように定義するのか? すべてのものが特異点から放射されるためにすべての点が中心である:ゼロ、マイナスとプラスの間の繋がりを形成する中立の性質を持つ数字である。ゼロ地点(グラウンド・ゼロ)、まさにあなたが立っている場所である。中立は間違いなく目に見えない。

天文物理学にはゼロ-ポイントエネルギー(真空中のエネルギー、張力の最初のモーメント前の宇宙の停滞状態)がある。カバラーには無管理の絶対、または創造されていないエネルギーとして、アイン(Ain)という単語がある。ニコラ・テスラはアメリカで40年代以来、無尽蔵のエネルギー源であるゼロポイント技術を使って電気を生み出す方法を発見していたが、J・P・モルガン(世界を支配する13イルミナティの一人)の非常なる圧力の下にアメリカ政府は彼の研究を中止させた。彼は当時銅鉱山のオーナーだった。彼は電気エネルギーは無料であるべきだという考えに立てなかった。現在では計測と請求のため、電気は銅製ワイヤーで送られる。

真空は運動(motion)を吸収し、それをポテンシャル(電位?)に変え、そのフィードバックによってこのポテンシャルは再び運動になり、空間に放射され戻るだけである – Nassim Harameinは語り、さらにいっそう強調した – 真空はいたるところにあるからだ。『あるものが完全な平衡にある時、それは感じられたり計られることはない。そしてこの完璧さはそれを知覚できないようにする。魚が水の中、つまり慣れている環境にいる間、誰かが水の外に出して違う密度の環境に入れられない限り、それを感じることはない。私たちは真空を把握するどんな方法も持たないため、それを空っぽだと考える。(中略) すべてのフラクタル構造において、あらゆる点は中心と考えることができ、そしてもし真空が構造内で全てを作り保持するならば、それは宇宙におけるすべての現象の創造力の鍵である。』 その天文物理学者はハリケーンを想像するよう言って実例を示した。ハリケーンの目は静止し、一方で周囲のすべては回転している – この特別な点は中央特異点の事象の地平線である。
天文物理学者の結論は、私たちはブラックホールのように振る舞う宇宙に住んでいるというものだ。内部にある全ては小さなブラックホールのように、同じく原子のように振る舞い、特異点を含んでいる。
スティーブン・ホーキングの最も新しい理論は、ブラックホール-ホワイトホール現象の理論を拡大するために導かれている。私たちが見るものは事象の地平線の放射部分である(惑星、原子etc)。しかしブラックホールは真空中で収縮部分であり、ホワイトホールは真空中で放射部分である。私たちは宇宙の真実を理解するのにとても近くまで来ている。

宇宙のすべては相互接続されている。
すべてがイル・セパラティオとなり得る! 特異点、ゼロ、ディビジョン、極性のフィードバック、バランスの原理(相対した二つの要素からなる)、平衡(正反対に相対した二つの要素の間の中央点)、現実自体(異なる分解能(?)フラクタル真空内部の空間の様々なディビジョン)。
イル・セパラティオは『宇宙はそれ自身を通して生き、それ自身について学ぶ』(カール・セーガン)である。

さて、異端審問会の暗い日々以来、その全てが改革されたにも関わらず、イル・セパラティオの名前を口にすることの公的な禁止をバチカンがまだ維持していることを私たちはまだ不思議に思うべきだろうか? おそらくキロメートル・ゼロ、精神性の核心になっていないというシンプルな事実のためだ。見えるものや見えざるものすべての目的が何か疑問に思っていた時の苦痛に溢れる間、それは私たちの指針となっている。
私たちははっきりと結論付ける:伝説の騎士は最終的になぜかを問うため再び会う必要はなかった。

References:
http://theresonanceproject.org (Nassim Haramein)
Kabbalah (Papus)
Drunvalo Melchizedek – „Flower of life”
The Gospel of Judas (documentary) – http://www.youtube.com/watch?v=zSe5PTPl0nQ


【翻訳後記】
翻訳していてわかったようなわからないような感じ。気になるところなど語りたいことがあったので翻訳後記として書いていきます。章イル・セパラティオの伝説に関しては過去に訳したものと大きく違わないので特になし。言いたいことは章マトリックスから。かなり長いです。

そもそもこの記事におけるマトリックスの意味について。陰謀論や不思議関連では必ずと言っていいほど名前の上がる有名な映画にもありますが、マトリックスは数学的には「行列」という意味になります。これは数字を箱の中に入れて並べたやつって感じで、2次元とか3次元にもなります。数学的に厳密な話は割愛で^^;。ですがmatrixという単語には「母体」や「根本」という意味もあります。このことから映画では「数字で作られた仮想現実」と「それを生み出す母体」みたいなことを描いているのだと思います。たぶん。今回の記事ではmatrixは「根源的なもの」という意味かと思います。なので原初のマトリックス(Primordial Matrix)とは物事の基本概念・真理の基本原理(principle)といったところかと思います。
さらに用語について、この後に出てくるフィードバックというのは逆向きの力のことだと思います。輪ゴムを引っ張ったときの元に戻ろうとする力のような。

さてこの章では原理について、無限について、そして科学的・神秘的・宗教的な例え話について書かれています。勝手にそう解釈しています。この世界にあるものは善悪などの二元論システムに支配されています。善にとって善が善で悪が悪であると同時に、悪にとっては悪が善で善が悪というように、相対する二者の性質は視点によって変化するものです。伝説の通り、その間にあるものは仲裁者・分割者であるイル・セパラティオ、対立し変化するものを支配し平衡をもたらすものです。二元論に中央の平衡を合わせた三つ組というのが宇宙の原理・マトリックスである、というのが原理についての内容かと思います。

これに続いて宇宙の膨張と収縮という二元システムに関して説明されています。膨張と収縮は対立するもので、宇宙の場合は膨張し続けると同時に真空が収縮の役割を担っているとしています。この膨張と収縮のバランスをとっているのがイル・セパラティオというわけです。膨張と収縮はどちらも強さが変化しますが、バランスは常にその二つを支配している無限の存在です。そしてどれだけ大きい力に対しても両者のバランスをとるという無限の収容能力は、有限という概念でさらなるマトリックスを生み出します。無限・有限という二元が生まれ、その間にもイル・セパラティオが存在する。原子は有限であるが空間の無限の分割である、そして原子は電子という対立存在を持ち無限のバランスをとる、といったところでしょうか。なんだかわかったようなわからないような。リンクしてあるフラクタルのWikipediaを読むと何となく感覚がつかめるかもしれません。

https://www.sciencenews.org/article/small-infinity-big-infinity
こちらは大きな無限と小さな無限について数学の視点から。整数は1,2,3,4・・・と無限にカウント可能ですが、例えば3と4の間にある3.141592・・・のような実数の無限はカウント不可能みたいな話だと思います。ご参考まで。

伝説におけるイル・セパラティオは神とルシファーという対立の調停者として存在しますが、不死である存在ゆえに死すべき定命の存在アマンテスを必要とします。そして不死と定命という対立概念の間にまたイル・セパラティオが生まれる、のか? 定命であるアマンテスに不死を与えることでバランスをとるのか? とにかくバランスは常に存在し、対立する二者の間の特異点にイル・セパラティオが存在するということのようです。

例え話としてカバラーにおけるセフィラやヒンドゥーの三神一体、そしてキリスト教の三位一体などの三つ組について語られていますが、個人的に気になったのは日本神話にもこういうのあるよね?ってことです。アマテラス、スサノオ、ツクヨミってまさにこれじゃないですか? アマテラスとスサノオは対立存在として語られますが、ツクヨミはほとんど何も語られませんよね。ツクヨミの役割は何なのかについて、神話構成において3つということに意味がある、というのをどこかで読んだことがあります。まさにこのマトリックスについてですよね。あとは海幸山幸も登場しないもう一人がいます。ホデリ、ホオリ、ホスセリ。始めは2人だったのが3人になったとかですが。

章全てが三つ組だったとしたら?では、主にDNAに関連した発見がなされているというものです。Gariaev氏は検索してもたくさん情報がヒットしますし、YouTube動画もあります。内容を詳しく確認してはいませんが、きちんとしたソースがあるようです。DNAと波の関係は興味深いですね。ソルフェジオ周波数もこういったことなのでしょうか。僕はオルタナティブなものには基本懐疑的ですが、嫌いじゃないです。スピリチュアル界隈で言われる様々なことが科学的に示されるのはワクワクもしますし恐ろしくもあります。DNAの磁気ワームホールについてはわかりませんが。精神的な変質・変成で魂や体を黄金にするというのは錬金術でもなされています。これがバイオアルケミーなのでしょうか。

章神聖幾何学の要素では、点、線、面、立体について語られています。点がゼロ次元で存在しないならば、その連続である線も面も存在しない、ということ。しかしなぜか三次元である立体は実体として突然存在する。
線は点の動いた軌跡で、欠乏から出発した始点はマイナスで目的地の望まれた終点はプラス。直線では何も起こらないが円を描くことで中和され、ヘルメス的マトリックスとなる。このヘルメス的マトリックスっていうのは相対する二者の合一ということかな。

個人的にはしっくりきます。一次元(線)の連続が二次元(面)で、その連続が三次元(立体)、タテヨコ高さの三つで世界はできています。厚さのない線や面は概念としてしか存在せず、人間はこの三つを一組としてしか認識できません。一般に時間が四次元目だとか言われますが、三つで一組としてしか認識できないためであって本当は時間は立体だ、とウスペンスキーが言っていたようです。例えば私たちは目覚まし時計がなることを前提とした『結果ありきの夢』を見たりしますが、個人的にこれは負の順方向とでも言える現象で、時間は波として正負を振動しながら進んでいるんじゃないかと思っています。他にもう一つの要素があって時間ができているけど、ベクトル合成のように三つを一組としてしか認識できないから一本道のように見える。そんな感じなんじゃないかと。

中性。ゾーン。では、存在・状態・行動は、状態が負で行動が正であるとしています。ネガティブな感情を中和させるために行動するので、行動は正であると。さらに重要なのはイル・セパラティオが高いレベルでの二元論の絶滅を意味しているというところです。善と悪という二元論が破壊されて無限のバランスを持ち出されたら、神の神聖さや絶対的な善という立場が脅かされると考えて、バチカンは禁書としたのではないでしょうか。その後英単語の話やスカラーという言葉が出てきますが割愛します。そしてユダの福音書、陰謀論めいた話に繋がり最後にまとめが入ります。

最終的に何が言いたかったのか。結局『すべては三つ組、つまり相反するものと平衡』だと思います。これ深いですよね。ヘルメス哲学について書かれたKybalionのことを以前別の場所でまとめましたが、そのことが含まれていると感じました。すべては二元的で極性を持っている。膨張すれば収縮のエネルギーが強まり、収縮すれば膨張のエネルギーが強まる。これがフィードバックであり常に動いている。リズムを持って膨張と収縮を繰り返す、つまり振動している。では最初の動きの前は何だったのか。それがゼロポイントエネルギー、ニコラ・テスラが見つけ出した無尽蔵のエネルギー源であり、相反する二者の間の平衡。そして平衡を生み出す存在であり平衡を破壊する存在。力の出発点であり二者の合一による終着点。すべては二元的で極性を持っている。その間には常にイル・セパラティオがある。まさに『すべてがイル・セパラティオとなり得る!』です。

世界や宇宙を見るとき考えるとき、『すべては三つ組』という考え方は重要です。三次元に生きる私たちですから、必ず第三の道があるということです。それが宇宙の原理原則、グレートマトリックスです。今年は平成30年、これまでの時代が終わって新しい時代が始まる境界の年です。なんだかワクワクしてきました。

サムネイル:http://the-demonic-paradise.wikia.com/wiki/Il_Separatio

コメント (1件)

  1. あの長い英文をすべて翻訳して出してくれたことに本当に感謝しています。
    やはり機械翻訳で翻訳して読んでいた時とは比べ物にならないぐらい文章の内容が分かりますね。
    ただこんなにも難しい内容だったとは思っていなくて、すべて読むだけでも数日はかかってしまいました。
    読み終わった今でも、まだほとんど理解はできていないんですけどね。
    正直言って、翻訳後記がなかったら全く理解できていませんでした。
    なので私が本文の内容に対してどうこう言うことはできないのですが、とにかく不思議で、すごく魅了されますね。
    誰が書いたのかもわからないものですが、この本を書いた人は一体何を知っていたのか、そして本に書いてある通りのことを伝えたかったのか、はたまた本の内容は寓話でここに書いてあるような解釈が必要だったのかなどと考えてしまいますね。
    できるならば書いた人に直接会って話を聞いてみたいぐらいです。
    何はともあれ、翻訳お疲れ様です。そしてありがとうございました。

    • いやあ大変でした(笑)
      でもほんとワクワクするんですよね、イル・セパラティオって。

      僕は何らかの寓話なんじゃないかなと思います。
      錬金術でも、知っている人だけに伝える方法として絵を使ったりしてますし、匿名にして何かメッセージを含ませていたんじゃないかと思います。

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