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植物利用は農耕へ

前の動物も薬を使うという記事で、植物を利用する知識を人間は最初から持っていた可能性が見えてきました。

さらに人間が植物をどのように使っていたのか、興味深い報告がありました。海外サイトPastHorizens(英語)の記事では考古学的な証拠から、人間が狩猟のために植物の毒を使い始めた年代を今から3万年前だとしています。

翻訳した記事:旧石器時代の狩人が使った毒と植物

これによると、どうやら想像していたよりもかなり古くから植物を利用していたようです。確かに農耕以前は狩猟採集生活ですから植物は現代よりも身近なものだったかもしれませんね。人間が農業を始めたのはおよそ1万年前とされていますから、それよりも2万年早いというかなり前から植物についての知識を持っていたことがわかります。

人間が植物と非常に深く関わることとなるその農耕も、掘り下げてみるとおもしろいことがわかってきました。まず農耕の流れを見ていきます。

農耕の始まり

氷河期の人々はマンモスやトナカイなど大型動物を狩ってその肉を食べていました。約1万1000年前頃に氷河期が終わって気候が温暖化すると、森林が増えて草原が減り、ここを生息場所としていたこれらの大型動物は姿を消していきました。森はアーモンドやピスタチオなど食べ物が豊かだったので、人々は拡大してきたこの森林で定住生活をしていました。そこにヤンガードリアスと呼ばれる氷河期への揺り戻しがあり、寒冷化と乾燥した気候のためにその森林も減少していきます。この不安定な状況において採集に依存していた当時の人々は、動物の狩猟や自生植物の採集だけで人口をまかなうことに限界を感じて、収穫が少ない場合に備えた食料備蓄として植物を植え始め、その後動物の家畜化を進めることとなりました。農耕はこのような流れで始まったと考えられます。
参考:るいネット

[注記]
ヤンガードリアスによって農業を始めることになったという説が一般的ですが、これは一説に過ぎず様々に議論されており、テル・アブ・フレイラを作ったナトゥーフ文化の人々を研究する専門家からは否定されているようです。
参考:Science: The Tangled Roots of Agriculture

 

上記のように、動物が少なくなったために少しずつ植物を植え始めたようですが、おもしろいのは手頃な植物をとりあえず植えたのではなく、収穫量が多く、農耕に適した種類を選んでいた、ということなのです。

ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』に下記のように書かれています。

レバント地域のシリアにテル・アブ・フレイラという興味深い遺跡があります。ここでは、紀元前1万年から9000年頃にかけて人々が集落を作り定住していました。この地域で農耕が始まるのは紀元前9000年から8000年の間なので、彼らはこの場所を拠点として狩猟採集生活をしていたということです。この遺跡からは彼らが採集した植物の炭化した種子が発見され、その数は判別できるだけで157種にもなります。これはこの地域で自生する植物の種類と比べてはるかに少ないため、手当たり次第に集めたわけではないようです。それらを分類すると、無毒な種子を持ちそのまま食べられる植物、種子に毒があるが簡単に毒を取り除いて食べられるマメ類やアブラナ科に属する植物、そして昔から染料や薬として使用されていた植物の3つに分類できます。この中には有毒な植物など、人間の役に立たない植物は含まれていませんでした。

引用:銃・病原菌・鉄(上)、ジャレド・ダイアモンド著

当時の人間は見境なく植物を集めていたわけではなく、自分たちの生活環境にどんな植物が自生しているかよく知っていて、その知識を生活に役立てていたことがわかります。やっぱり、農耕を始める前からどのような植物が利用可能かという知識をすでに持っていたんでしょうね。その知識を使ってヤンガードリアスという厳しい状況で最適な穀物を選んだからこそ、農耕を始めることができたのだと思います。

さらに古代文明の農業が発展した順番についても書かれています。

インダス川流域では紀元前7000年頃にメソポタミアからもたらされた小麦や大麦の栽培が行なわれ、同様にエジプトでは紀元前6000年頃にメソポタミアからもたらされた栽培種による食料生産が行なわれています。

引用:銃・病原菌・鉄(上)、ジャレド・ダイアモンド著

 

また、同じ頃にアジアやアメリカ大陸でも農耕が始まったようです。

Approximately 10000 years ago, associated with climate variation at the start of the Holocene, modern humans in the Near East began to cultivate plants, and later on to domesticate animals. This ‘Neolithic revolution’ led to an increase in population, sedentism and eventually to urbanization. This adoption of agriculture also occurred independently in other parts of the world, such as in Asia, where rice was the main domesticated plant, and in the New World, with the domestication of maize.

訳:
約1万年前、完新世の始まりにおける気候変動と関連して、近東の現生人類は植物を育て始め、後に動物を家畜化した。この「新石器革命(Neolithic revolution)」は人口増加、定住(sedentism)に繋がり、最終的に都市化へと至った。この農耕という選択は世界の別の場所でも独自に発生し、アジアでは米が主要な栽培化作物であり、新世界ではトウモロコシが栽培化された。

引用:
http://www.nature.com/ejcn/journal/v56/n12/full/1601646a.html

 

中国でも農耕に関連する考古学的証拠が見つかっていることから、中東・メソポタミア地域で農耕が始まってエジプトやインドに伝わり、それとは別に中国でも独自に農耕が始まったのでしょう。

ただし、アメリカ大陸のトウモロコシの場合は少し状況が違うようです。栽培化は1万年前頃に始まったようですが、食料となりえるまで改良するには数千年もの時間がかかったと考えられています。長く議論されているようですが、トウモロコシの原種は雑草のテオシントと言われ、こちらを見ても今のトウモロコシよりも収穫量は明らかに少なく、固くて食べにくそうです。栽培化した植物を食料として十分に利用できるようになるまで時間がかかったことは、その後の文化発展に影響を与えたかもしれません。

地域によって農耕開始の年代に少しズレがありますが、奇しくも、メソポタミアや中国という食料生産が独自に発生した地域、そしてエジプトやインドという農耕が早くに伝えられた地域に古代文明が興りました。錬金術はこれらの地域でそれぞれ独自に発達したと言われています。

食料を大量に生産できることで余剰食料が生まれ、農業に従事しない専門職も現れます。知的好奇心を満たすため、彼らは自然を観察し経験を蓄積して独自の世界観や思想を構築していったのではないでしょうか。きっとそれが文明の起こりでしょう。

そして農耕の知識を伝えるというやりとりを通じて思想がエジプトやインドに伝わり、その地で別の思想を取り入れながら様々に発展していったのかもしれません。錬金術は様々な思想を取り込んで発展しましたが、そのルーツは人類の歴史と深い関係があると言えそうです。

 

薬や毒として使用していた植物ですが、氷河期という環境によって『しょうがないから農業でもするか』って感じで主食に使われるようになった。そしてその知識が広がることで人間はより文化的になっていった。うーむ、人間っておもしろ。

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