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ヘラクレイオン(Heracleion)

31° 18′ 15″ N, 30° 6′ 2″ E

ヘラクレイオンはアレクサンドリアの東、アブキール湾沖6.5kmに沈んでいる遺跡でトーニスとも呼ばれます。ナイル川河口のデルタにある島々の上に建てられた町で多くの波止場がありました。地中海貿易などにおいてエジプトの重要な海の玄関口のひとつで、プトレマイオス朝時代には巨大な神殿で重要な儀式が行われていたようです。神殿にはエジプトのアメン神がまつられ、新しいファラオの神的な力を打ち立てるための儀式が行われたのではないか、と推測されています。

ヘラクレイオンという名前はギリシャ神話の英雄ヘラクレスが訪れたことがあるという説もありますが、ギリシャでヘラクレスと同一視されていたエジプトの月神コンスの大神殿があったからとも言われています。コンスはアメン神の息子ともされる神で、名前の意味は「旅人(traveller)」で夜空を横切ることと関連しています。その後ヘラクレイオンでアメン信仰が盛んになることとも関係しているかもしれません。プトレマイオス朝時代におそらくヘラクレス神殿としてギリシャ人から信仰を集めるようになったと思われます。

文献でヘラクレス神殿があった場所として名前が残されていましたが、遺跡の位置が特定されていませんでした。元は数学者であった水中考古学者のフランク・ゴディオ率いるチームが、得意分野を活かしたデータ収集と分析を行うことで2000年に発見することができました。

  • ヘラクレイオン想像図。Photo: Franck Goddio/Hilti Foundation, graphic: Yann Bernard

海底で大きな参道跡や高さ5メートルにおよぶ3体の巨大な石像、儀式に使われたと思われる道具などの痕跡を次々と発見されました。紀元前12世紀には古代ギリシャの歴史家によって言及されており、エジプト新王国の末期には王国の中心的な港としてその重要性を増していったようです。紀元前6~4世紀に栄え、紀元前4世紀には当時のファラオで偉大な建築者としても名を残している、ネクタネボ1世によって多数の神殿が建立されました。また、同地域で発見された石碑から、この地がエジプト名で「トーニス」と呼ばれる土地だったことを示しています。

6~7世紀には大地震や洪水などの要因のため海の下に沈んだ。

海底のヘラクレイオン:神話と現実の狭間で

参考:
 - ヘラクレイオン - Wikipedia
 - Heracleion - Wikipedia
 - asahi.com : 朝日新聞社 - 「海のエジプト」展
 - Khonsu - Wikipedia

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