バルネネのケルンは新石器時代初期に建てられました。異なるソースから異なる年代が出されますが、放射性炭素年代測定をもとにすると、ケルンは紀元前5000年紀の前半に建設されました。それにもかかわらず、バルネネのケルンは一般的に2段階で建設されたとされています。
建設段階
例えばあるソースでは、記念物の最初の段階は紀元前4850年から紀元前4500年まで続き、次の段階は紀元前4200年に始まり紀元前3900年に終わったと言われています。一方別のソースでは、最初のケルンの建設は紀元前4500年に始まり、2段階目はその数世紀後に始まったと主張されています。バルネネのケルンはギザの大ピラミッドよりも2000年ほど古く、『エリコの塔より少しだけ新しい』とされます。
大きさを見ると、バルネネのケルンは長さ72m(236ft.)で、幅は測定場所により20~30m(65~83ft.)、高さは9m(29ft.)です。さらに、バルネネのケルン建設に使われた石の体積は6500~7000m³と推定されます。重さは12000~14000トンだと算出されています。
ケルンは、建てられた時期だけでなく建築材料によっても区別される各段階の間に建てられました。周辺で見つかる粗粒玄武岩は建造の第一段階で使われ、第二段階では近くのステレック島からの花崗岩が関わっていると識別されています。さらに、第一段階のケルンには6つの部屋があり、第二段階では5つになっています。一般的に、これらは主室とそれに繋がる長さが7m~12m(22~39ft.)の通路で構成されています。これら部屋の各入口は南東側にあります。
バルネネのケルン内部
バルネネのケルンの人工物は早ければ19世紀には知られていました。それにもかかわらず、バルネネのケルンの重要性が理解されたのは翌世紀の中頃でした。この時までケルンは石切場として使われ、いくつかの部屋が部分的に露出していました。モニュメントの考古学的価値に人々が気づいた後、翌年に発掘と修復作業が行われました。
バルネネのケルン内部の部屋から、陶器の破片(新石器時代と青銅器時代の両方)や磨かれた石斧、同様の矢尻などの品物が見つかりました。これら品物のいくつかはこの遺跡のビジターセンターで見ることができます。さらに、ケルン通路の多くの壁から彫刻や絵が見つかっています。
頻繁に『霊廟』と呼ばれているにも関わらず、バルネネのケルンに埋葬の習慣と明確に結びついていた品物が入っていたという強力な証拠はありません。『霊廟』という言葉は別として、バルネネのケルンは埋葬設備として機能していたことを示唆し、この先史時代モニュメントの建設者はその目的で使用していたと推測されています。
内部で見つかった壁に彫られた記号の一例。 ( Public Domain )
原文:Ancient Origins