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謎めいた石の王国:グレート・ジンバブエ

ジンバブエにはアフリカで最も驚くべき歴史的モニュメントの一つが存在します。それがグレート・ジンバブエのモニュメントです。900年前に建てられ、その巨大な石造建造物は息をのむ光景を生み出し、訪れた者に数世紀前に起きた歴史的出来事について疑問を残します。どうやってこれら巨大な石造建造物は建てられたのだろうか? どのような人々がここで暮らしたのだろうか? なぜこのような印象的で耐久性のある建造物が最後には放棄されたのだろうか?、と。

「ジンバブエ」という名前は「石の家」を意味するアフリカの言葉を英語風にしたものです。グレート・ジンバブエは何重もの石壁からなり、建物は主に花崗岩で建てられています。建造物はハイレベルな石工の専門技術である、ドライストーン工法( )と呼ばれる方法を使って造られています。内部の建造物には多くの通路と囲いがあります。これはジンバブエ国土の南東部ほぼ1,800エーカーにわたって広がっています。建造物が国名にちなんで名付けられたように思えますが、実際はその逆です。

グレート・ジンバブエの円錐塔。 Image source: Wikipedia

建設は300年以上におよび、この複合体は最大で18,000人もの知的文化を持つ人々を収容したと推定されています。。グレート・ジンバブエは政治的権力の座として使われたとされ、ジンバブエ君主の宮殿としての役割を持っていたとされます。誰がグレート・ジンバブエを建設したかは知られていませんが、レンバまたはヴェンダとして知られるアフリカ南部の民族グループの祖先である、ゴコミア(Gokomere、ジンバブエの地名)のバントゥー民族、またはカランガとして知られるショナ語を話す人々の傍流などいくつかのグループが関係しています。

グレート・ジンバブエ遺跡の保全された壁。 source: Wikipedia

一部分が崩壊すると、グレート・ジンバブエは最終的に放棄されました。しかし建造物の多くは現在も立っており、ユネスコの世界遺産として認められています。一部によれば、グレート・ジンバブエで最も印象的な遺構はその巨大な石壁です。壁は花崗岩で造られています。これは丘を囲む露出した岩から採取されたこの地域の天然資源です。その大きな平板は、取り出して、輸送し、組み立て、複合体の周囲に広範囲な壁の集まりを造るのが容易でした。

グレート・ジンバブエ、石を模した木のリンテル。 Image source: Wikimedia

グレート・ジンバブエの廃墟は3つの独特な構造上のグループを形作っており、それらはヒル・コンプレックス、ヴァレー・コンプレックス、グレート・エンクロージャーと名付けられています。3つのグループの意味や目的についてはいくつか意見の相違があります。ある人はそれぞれのグループは異なる王を表し、新たな統治者が権力を握ると新たな住居を作ると言います。これは権力の焦点が数世紀を通じてグレート・ジンバブエに移行したことを示唆しています。他の人々はこのグループがグレート・ジンバブエの存続期間を通して一貫して使われ、それぞれの複合体は社会の中で特定の目的を果たしていたと示唆しています。ヒル・コンプレックスはおそらく神殿としての役割があり、ヴァレー・コンプレックスは民が住んでいた場所で、グレート・エンクロージャーには王が住んでいたようです。

グレート・ジンバブエのヒル・コンプレックス。 Image source: Wikipedia

グレート・ジンバブエに住んでいた人々に関するいくつかの証拠はこのエリアから発見された、ソープストーン(滑石)の小像、陶器、鉄のゴング(円盤)、精巧に加工された象牙、鉄や銅のワイヤ、鉄の鍬、青銅の槍頭、銅のインゴットとルツボ、金のビーズやブレスレット、ペンダント、鞘などの遺物に由来します。年代決定のために発見された最も特筆すべき遺物の一つは8つのジンバブエ・バードとして知られています。この鳥像は高さが16インチあり、ソープストーンから彫り出され、高さ約1ヤードの巨大な石のモノリス(一枚岩)の天辺に置かれていました。不運にも、この鳥像は本来の場所から発見されていないため、建設時はどこに置かれていたのか知られていません。ジンバブエ・バードがヒル・コンプレックスの東エンクロージャーに置かれていたという物理的な指標がいくつかあります。鳥像にはクチバシ部分に唇、爪部分に五本指の足など、人間と鳥の両方に似た特徴があります。これらはおそらく王族という存在のシンボルとなっています。鳥像が置かれていた場所の正確な特定は、王やリーダーがグレート・ジンバブエ内のどこに住んでいたかという洞察から知ることができます。

グレート・ジンバブエから見つかったソープストーンの鳥像のレプリカ。 Image source: Wikipedia

何がグレート・ジンバブエの住人減少に繋がったかという憶測の多くは、利用可能な資源の減少を主に挙げています。北方からの交易の減少や、近隣の金鉱の資源を使い果たしたことによるという人もいます。他には政情不安や飢饉、気候変動による水不足を引き合いに出す人もおり、これらが利用可能資源のより豊富な地域へと移住するよう人々に強制しただろうとしています。

グレート・ジンバブエは過去の人類文明の光景を訪れた者に垣間見せますが、多くの謎を残しています。この古代遺跡についての多くは未だわかっていません。どのように成立したのか、なぜ建てられたのか、どのように使われたのか、なぜ放棄されたのか。私たちはこれら質問の答えを決して知ることはできないでしょうが、ジンバブエという名前を与えられた国の息をのむ遺跡にて今でも驚嘆することができます。

原文:Ancient Origins
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