メルカルトという名前は「都市の王」を意味し、彼はフェニキアの神々の長だと考えられています。彼はしばしば整った髭で背が高く、丸い帽子をかぶった正々堂々とした姿で描かれます。彼はその手にそれぞれ生と死のシンボルである、エジプトのアンクと穴あき斧(fenestrated axe)を持っています。メルカルトは守護神であることに加えて、海の神として知られていました。彼を崇拝することは釣り、植民地化、そして貿易に幸運をもたらしました。特にメルカルトは、豊かな紫色の布を作るためにホネ貝から染料を抽出する知識と手法を礼拝者にもたらすことで、ティルスとその植民地(アフリカ北部のカルタゴとスペインのガディル)の商業的成功を保証していたと考えられます。
紀元前10世紀頃のヒラムが統治する間、壮大な神殿がメルカルト崇拝のためにティルスの町に建てられました。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、ティルス探索の際に訪れた神殿の入口について記しました:『私は神殿を訪れ、それが数々の捧げ物で美しく飾られているのを見た。その中には2つの柱があり、1つは純金で、もう1つはエメラルド(smaragdos)で飾られ、夜には素晴らしい輝きを放っている。』(Livius, 2015) アレキサンダー大王は神殿で生贄を殺そうとしましたが、外国人が祭壇に近づくことを禁止したルールがあるため、彼がどんなに強力であっても司祭たちはそうするのを認めなかったと言われています。
紀元前4世紀頃、ギリシャ人はメルカルトを彼ら自身の伝説的英雄であるヘラクレスだと考えるようになりました。彼を既知世界の隅々に連れていく有名な「ヘラクレス12の功業」という試練は、フェニキア人の広大な植民地帝国を応援する説明だと考えられました。メルカルト=ヘラクレスに敬意を表して、ギリシャとフェニキアの思惑を繋いでいた可能性のある神殿がマルタ島に建てられました。この神殿について知られていることは少ないですが、これは長年にわたっていくつかの礼拝所が開かれた縁起のいい場所であるタ=シルクに存在していたと考えられています。マルタのシッピが発見されたと言われているのはこの場所です。
シッパスは装飾的な柱で、しばしば完全な柱の半分の大きさに切られたものです。平らな頂上部はお香やその他焼いた捧げ物を置く場所として使うことができました。シッパス自体にはよく、国境画定、道しるべ、葬祭モニュメントなどとして機能する重要な情報が刻まれます。シッピは非常に様々な素材で作られます。知られている最古のシッピは砂岩で作られていました。マルタのシッピは白大理石に彫られ、高さ1.05m、幅0.34m、厚さ0.31mあります。1782年、2つのシッピのうち1つがホスピタル騎士団のグランドマスター、Emmanuel de Rohan-Polduc師によってルイ14世に贈られました。現在ではパリのルーブル美術館にあります。一対のシッピはマルタのヴァレッタにある国立考古学博物館に保管されています。
大理石のシッピの底部には、3行のギリシャ文字と4行のフェニキア文字が刻まれています。1694年に見つかりましたが、フランスの考古学者であるジャン=ジャック・バルテルミ神父がギリシャ文字を使ってフェニキア文字を解読できたのは1758年でした。碑文は次のように読めます:
我らが主メルカルト、ティルスの主へ、これは捧げられた
あなたの信奉者Abd’ Osirとその兄弟’Osirshamar
‘Osirshamarの2人の息子、Abd’ Osirの息子によって、主は聞いた、
彼らの声を、主は彼らを祝福するであろう
親愛の念を込めてマルタのロゼッタストーンとして知られるマルタのシッピは、古代フェニキア文字を解読する取り組みを大いに助けました。現在、このシッピはマルタの貴重なシンボルとされ、切手に描かれています。
原文:Ancient Origins