テルキーネスの起源
テルキーネス(ギリシャ語ではTelkhines)の始まりは、古代神話でよくあるように議論の余地が残っています。数人のギリシャやローマの作家たちは、テルキーネスがフューリーズ(Furiesまたはエリニュス)の兄弟姉妹であり、クロノスの父ウラノスの性器の血から生まれたと考え、彼らが海であるタラッサの子供たちであるという可能性にほぼ固執しています。
テルキーネスが両者の子供たちだということは、ウラノスの血が海に落ちて生まれたのがアフロディーテで、大地に落ちて生まれたのがフューリーズだと言うこともできます。しかし、これは明確に表されていません。それにもかかわらず、テルキーネスはウラノスの孫たちオリンポスの神々(オリュンピアンズ)の時代において初期の役割を果たし、将来の海の王であるポセイドンの育成において女神カペイラ(ロードス島の神話の女神)を助けました。
テルキーネスの記述
テルキーネスに関する最古の情報源はギリシャの作家カリマコスから来たもので、彼はテルキーネスを『ケオス島の魔術師たちで、ロードス島ではない』と考えました。しかし最も完全なテルキーネスの説明は、ローマの著述家ストラボンによる『地理誌』にあります。この文章はテルキーネスをロードス島に置き、彼の包括性のために後の作家たちはテルキーネスをこの島に置き続ける可能性が高いです。ストラボンはまた前述の芸術家、魔術師、職人という3つの職業についても、テルキーネスが最初はこれらの才能全てを元々有していなかったかもしれないながら記述しましたが、記録は失われました。
Eustathiusとジョン・ツェツェスによると、これらのダイモーンはしばしば自然界に騒乱を引き起こすために力を使っていました。魔術師として、テルキーネスは神のように自然の力を使うことができました。彼らは『地震、稲妻、そして嵐を生み出し、プローテウスのように思いのままに姿を変えること』ができると記録されています。
熟練の職人
職人として、テルキーネスは神々の命令で小さな装身具や武器を鍛造するという、神ヘパイストスと同様の活動を行ないました。彼らが独自に作った最もよく知られたものは、海の君主ポセイドンのトライデントと、クロノスの鎌の2つです。彼らはヘファイストスの助けを借りて、ハルモニアーの呪われたネックレスを作っていたとも言われています。ゼウスとヘラの奇形の息子(※ヘパイストスのこと)は全ての金属が得意であるのに対して、テルキーネスたちは真鍮と鉄の専門家でした。
ピンダロスは『それらはいつも起き上がり走っていた』と、テルキーネスがまさに生きているような彫像を作ったと言っています。ピンダロスはまた、テルキーネスはロードス島の最初の住人ではなく、同じくゼウスとアテナから与えられた技術能力を持つ民族である、ヘリアダエー(Heliadae)の後に来たと述べています。
明らかに、これは信頼性のない矛盾した神話の文章がどのようにできるかを明らかにしていますが、注意すべきいくつかの一貫した要素があります。テルキーネスはほとんどの場合ロードス島と関連しており、彼らは肯定的な力とは見られず、芸術・魔術・工芸の強力な能力を持っていたと言われていました。
テルキーネスはどう悪かったのか
彼らの多くの贈り物にも関わらず、古代ローマの作家たちがギリシャ人よりもテルキーネスを遥かに意地悪く、実際には暗黒の力として見たことを忘れてはなりません。その上、両方の文化はテルキーネスが邪悪だと一致しています。
しかし注意すべきなのは、古代ギリシャの情報源は現在まで残る可能性があまりないため、テルキーネスに関する大量の情報は後のローマ人著述家に由来するということです。ローマ人はこれら半神的な魔術師の悪い側面に非常に興味を持っていましたが、ローマ時代とポスト・ローマ時代の翻訳もそれ以前のギリシャ時代のバージョンよりもよく残っていました。
悪魔的なテルキーネスと現代の定義を関連付けたのはローマ人でした。ギリシャ語のダイモーンはただ単に彼らが超自然的だと示しただけでした。いずれにせよ、ギリシャ人はテルキーネスが後に登場するのと同様に危険だと本当に信じていたかどうかは議論の余地があり、残念ながら現在は不明です。
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原文:Ancient Origins