ニュートンは生涯で錬金術に関して1万語以上書いていたと言われますが、1936年に家族によって大部分が売られてしまったため、彼の写本は散逸しています。多くの著作は個人コレクターの手にわたっています。賢者の石の写本が実際再び現れたのは2004年12月にニューヨークのサザビーズでした。これは2009年にボーンナムで以前に提供され、最終的にパサデナのボーンナムにて2016年に販売されました。
(Chemical Heritage Foundation)
写本は化学遺産財団(Chemical Heritage Foundation)によって購入されました。インディアナ大学はアイザック・ニュートンの化学プロジェクト(The Chymistry of Isaac Newton Project)として知られるプロジェクトを立ち上げており、これはオンライン博物館で将来的に新しく見つかった写本を含む予定です。
賢者の石の歴史と物語は好奇心をかき立てるやや神話的なもので、この物質は健康、富、そしておそらく永遠の生命をもたらす不思議な力を持っていると信じられていました。賢者の石の物語は西洋錬金術に由来し、銅や錫などの一般的な金属を金や銀に変換する能力を持っていると信じられていました。これはまた『ティンクチャー(錬金染液)』や『パウダー』としても知られていました。
By Joseph Wright of Derby. (Public Domain)
金属を銀や金に変えることとは、卑金属を洋ナシ型のガラス器具内で熱して色の変化を注意深く観察するプロセスです。錬金術師はさらに賢者の石が持つ金属を金や銀に変えるその能力を、病気を癒し、寿命を延ばし、魂を活性化させる『不老不死のエリクサー』を作るために使うことができると信じていました。なぜ賢者の石が望まれているのかを理解するのは簡単で、それは賢者の石が健康と富の両方を与える能力を持っていたからです。
多くの現代人は主にJKローリングの『ハリーポッター』シリーズのおかげで賢者の石という考えに慣れ親しんでいます。第1巻は富と永遠の生命をもたらす魔法の石である『賢者の石』(アメリカ版では魔術師の石とも呼ばれる)を守ろうとするハリーポッターとその友人を中心に展開します。
ニュートンの手書き写本は、賢者の石のための『賢者の水銀』を作るプロセスを概説しています。ニュートンはよく知られたアメリカ人化学者ジョージ・スターキーの文書を写しました。スターキーはニュートンの同時代人だったロバート・ボイルなど他の化学者と作業をするため1650年にイングランドへ旅する前、ハーバード大学で学びました。自身の実験への他の化学者の接近を抑制するため、スターキーは自身の著作をエイレナエウス・フィラレテスという偽名の下で出版しました。
化学遺産財団の希少本キュレーターの一人であるジェームス・ヴェルケル(James Voelkel)はLive Scienceに対して、ニュートンが実際にスターキーの錬金術実験を実行したのか、または単に書き留めただけなのかは明らかでないと語りました。しかしニュートンは文書を一字一句コピーしたわけではありません。スターキーの文章をコピーすることに加えて、ニュートンはさらなる注釈を追加し、賢者の水銀プロセスの訂正をしました。その後、写本の裏に彼自身の実験についての指示、鉛鉱石を蒸留せよ、と書きました。
(Public Domain)
賢者の石に関連したニュートンの写本の発見は、ニュートンについて個人と科学者としての洞察をもたらしました。彼は重力と運動の研究で最もよく知られています。しかし、この賢者の水銀についての写本は、ニュートンの他の多くの錬金術写本と同様に、彼の研究や演習がより広い範囲をカバーしていたことを示しているだけでなく、スターキーやボイルなど、彼の時代の他の科学者との繋がりを説明しています。
トップ画:ウィリアム・ブレイクによるニュートン。「万能の幾何学者」として描かれている Source: Public Domain
原文:Ancient Origins