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銅の歴史

銅の歴史について見つけたこちらのサイトを翻訳しました。
https://www.thebalance.com/copper-history-pt-i-2340112


銅は人間が初めて使用した金属の一つであると考えられている。その早期の発見と使用の主な理由は、銅が比較的純粋な形で自然に発生することにある。

銅の発見

早くてもBC9000年に遡る様々な銅器や銅製装飾品が見つかっているにもかかわらず、銅を抽出して扱う技能を完全に利用したのは5000~6000年前頃の初期メソポタミア人が最初であると考古学的証拠は示唆している。

現代冶金学の知識の欠如から、メソポタミア人やエジプト人、そしてネイティブ・アメリカンら初期の社会では、主にその美的な資質について金属を重要視し、金や銀のように装飾品やオーナメントを作り出すために使用していた。

異なる文明社会で組織された最古の銅生産は大まかに下記の年代である:
メソポタミア BC4500年頃
エジプト BC3500年頃
中国 BC2800年頃
中央アフリカ 600年頃
西アフリカ 900年頃

銅の常用

研究者らは現在、その代用である青銅に先立って銅が常用されたと考える(「銅器時代」と呼ばれる)。青銅による銅の代用は、青銅器時代の先駆けである西アジアとヨーロッパでBC3500年~BC2500年の間に起こった。

純粋な銅はその柔らかさに悩まされ、武器や道具を作るには効果的ではなかった。しかしメソポタミア人による初期冶金学実験でこの問題の解決をもたらした:それが青銅である。

銅と錫の合金である青銅はより硬いだけでなく鍛造(ハンマーで叩いて整形・強化すること)や鋳造(液体として型に注ぐこと)によって扱うこともできた。

鉱体から銅を抽出する技能はBC3000年に十分発展したが、これは増加する銅やその合金の使用には不可欠なものだった。

現在のアルメニアにあるヴァン湖は、ポットやトレイ、皿、飲用容器を作るために金属を使っていたメソポタミアの金属加工師にとって、最も確実な銅の供給源だっただろう。発見されたノミやカミソリ、銛、矢、槍頭などのこれまで見つかった青銅や銅合金製の道具はすべて、BC3000年紀のものである。

この地域から見つかった青銅の化学分析は、当時の一般的な合金はおそらく87%の銅、10~11%の錫、そして少量の鉄・ニッケル・鉛・ヒ素・アンチモンを含んでいたことを示している。

エジプトにおける銅

エジプトにおいて、銅の使用はおよそ同じ時代に発展したが、二つの文明の間で直接知識を伝達したことを示唆するものは一つもない。BC2750年頃アブシールに建てられたサフラー王の神殿にて水を運ぶための銅製チューブが使われていた。これらのチューブは薄い銅製シートから直径2.95インチ(75mm)に作られており、パイプラインは長さ328フィート(100m)近くあった。

エジプト人はさらに銅や青銅をオベリスクや神殿の飾りはもちろんのこと、鏡・カミソリ・楽器・重り・秤に使っていた。

聖書関連文献によると、直径6フィート(1.83m)・高さ25フィート(7.62m)の巨大な銅製の柱が、エルサレムにあるソロモン王の神殿のポーチにかつて立っていた(BCE9世紀ごろ)。

一方で神殿の内部には、12体の青銅製雄牛像で空中に持ち上げられた16,000ガロンの青銅製タンク、いわゆる「真鍮の海」があったと記録されている。新たな研究は、ソロモン王の神殿に使われた銅が現在のヨルダンにあたるKhirbat en-Nahasに由来することを示唆している。

近東と銅

銅と特に青銅の品物は近東のあらゆる場所に広がり、この時期の破片が現在のトルコ、イラン、ギリシャ、そしてアゼルバイジャンから発掘されている。

BC二千年紀、青銅製品は中国でも大量に生産されていた。河南省陝西省とその周辺で見つかった青銅の鋳造物は、馬家窯文化において銅や青銅の工芸品が早くてBC3000年には使われていたが、中国における青銅の始まりだと考えられている。

その時代の文献は、大釜や鐘、斧、槍、剣、矢、鏡などの異なる品物を鋳造するのに使う異なる合金グレードを作るための銅と錫の正確な割合に関する詳細な議論を経て、どのように中国の冶金学が発展したかを示している。

鉄、青銅器時代の終わり

鉄精錬の発展は青銅器時代を終わらせたが、銅と青銅の使用は止まらなかった。実際、ローマ人の下で銅の使用と抽出は拡大した。ローマ人のエンジニアリング能力は、特に金や銀、銅、錫、鉛に焦点を当てた新しい体系立てられた抽出方法を導いた。

それまでスペインや小アジアの地元の銅鉱山はローマに提供し始めていたが、帝国の領土が拡大するにつれて更なる鉱山がこのシステムに統合された。その最盛期にローマは、北は現在のウェールズにあるアングルシー島、東は現在のトルコにあるミュシア、西はスペインのリオ・ティントまで広がり、最大で年15,000トンの精製された銅を産出できた。

銅需要の一部は貨幣制度に由来する。これはBC3世紀頃にグレコ・バクトリアの王たちが最初の銅含有硬貨を発行した際に始まっていた。銅・ニッケルの合金であるキュプロニッケルの初期形式は最初の硬貨で使われたが、最初期のローマ硬貨は雄牛の像で飾られた鋳造した青銅の塊からできていた。

銅と亜鉛の合金である真鍮は、この時点(BC3世紀頃)あたりに最初に開発されたと考えられており、広く流通する硬貨におけるその最初の使用はローマのデュポンディウスである。これはBC23年~AD200年の間に作られ流通していた。

ローマ人は大規模な水道システムとエンジニアリング能力を備えていたため、配管の接続金具に銅や青銅を頻繁に使っていたことは驚くことではありません。またローマ人は銅や青銅を鎧、兜、剣や槍にも使い、同様にブローチなどの装飾品や楽器、オーナメント、そしてアートにも使っていた。武器の生産は後に鉄へ移行したが、装飾品と祭祀用品は引き続き銅、青銅、真鍮から作られた。

中国冶金学は異なるグレードの青銅に繋がったが、ローマ冶金学は新しい様々なグレードの真鍮を開発した。これは特定の用途のために銅と亜鉛の様々な比率を持っていた。

ローマ時代からの遺産の一つは英単語 copper である。この単語はラテン語の cyprium に由来し、初期キリスト教時代のローマ文献に現れ、ローマの銅の多くがキプロス(Cyprus)を原産とするという事実に基づいた可能性がある。

Sources:
Reardon, A.C. (Editor). Metallurgy for the Non-Metallurgist. Second Edition. ASM International (2011).
Smith, B. Webster. Sixty Centuries of Copper. UK Copper Development Association (1965)
Copper Development Association Inc. History of Copper.
URL: https://www.copper.org/education/history/
Science Daily. “King Soloman’s Copper Mines?” October 28, 2008.
URL: https://www.sciencedaily.com/releases/2008/10/081027174545.htm

サムネイル:Wikimedia

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