巨大な鯨、亀
アスピドケロンという名前は、蛇や盾を意味するギリシャ語のaspisと、亀を意味するcheloneから来ていると思われます。西暦2世紀に書かれた、もしくはギリシャ語に翻訳されたとされる作者不詳の道徳的なキリスト教文書フィシオログスによると、アスピドケロンは海の生き物で、大きな鯨や巨大な亀として記されています。それが何であるにせよ、人々には背骨に巨大な棘のある大海獣のように見えたでしょう。中世の動物寓話集では常に巨大に描かれ、多くの場合最初は島や岩に間違えられました。
アスピドケロンに言及する文書の大部分に現れる伝説によると、船乗りはこの神話的動物を島だと考えて上陸し、そして料理を作るために火をおこしました。やがて体を冷やすために鯨が深い海に潜ると、船は引っ張られて沈み船員は溺死しました。最古の文書のいくつかによると、アスピドケロンが空腹の時、魚を引き寄せるために口を開けて甘い香りを放出しました。この部分の記述はこの獣が亀ではなく、どちらかと言えば鯨であることを示唆しています。
この不思議な動物は、フィシオログスや動物寓話伝承の道徳的な部分における悪意の寓話となりました。大プリニウスもまた彼の博物誌の中で、巨大魚の話に言及しています。彼はそれに非常に大きいという意味の『プリスティスpristis』と名付け、船乗りが背中に上陸して、それが沈んだ時に島ではなかったことがわかったという物語を書きました。
中世における恐怖の力
中世キリスト教の文書によると、アスピドケロンのシンボルはサタンの寓話です。この神話を強調したのは西暦7世紀に生きた人物セビリャのイシドールスです。彼は著作語源にて、鯨を山と同じ大きさの体を持つ巨大な獣として書いています。彼の説明では、彼らは波を高く越える際に水を吹くことから名付けられました。またその恐ろしさから怪物(cete)とも呼ばれました。
さらに、ギヨーム・ル・クレールとバーソロミュー・アングリクスによって書かれた、アスピドケロンに関する最も重要な文書のいくつかを含む中世の2つの本もあります。両方とも13世紀のものです。ギヨーム・ル・クレールはこの怪物をCetusと呼んでいます。彼の著書動物寓話集にて、その動物を船乗りにとって悪い隣人として記述し、船や船乗り、そして生き物全てにとって危険であると書いています。
バーソロミュー・アングリクスは著書物事の性質について(De proprietatibus rerum)で別のアプローチを取り、この神話的な獣の行動を単に記述する代わりに(それをやってもいるが)、どんな動物なのか理解しようとしました。彼はそれをBelluaと呼び、世界の歴史上で最も恐ろしく最も危険な生き物として記述しました。彼はこの獣を巨大な顎と体を持つ恐ろしいワニと比べて、その大きさが何者とも比較できないほどであるとしました。
この2人やその他の作家によって、海獣の姿は悪魔のメタファー(暗喩)として数世紀の間強く残りました。
世界中の恐怖の源
同様の神話は地中海地域から離れた地域で残されています。神話的な海獣はラテン世界の至る所だけでなく、他の文化でも言及されました。
例えばアイルランドの民間伝承では、聖ブレンダンについての物語に巨大な魚が現れます。この伝説で怪物はジャスコニアス(Jasconius)と呼ばれ、ブレンダンもそれを島だと間違えたために彼のボートは破壊されました。グリーンランドの神話では、同じような怪物はイマップ・ウマッソウルサ(Imap Umassoursa)と呼ばれました。同じように、この獣は船乗りを氷海に引き倒して死をもたらしました。
中東の伝説では、アスピドケロンはザラタンとして登場します。これは千夜一夜物語(アラビアンナイト)での船乗りシンドバッド最初の航海にて語られています。怪物は、ペルシャのザカリーヤ・アル=カズヴィーニーによって書かれたThe Wonders of Creationや、スペイン人博物学者Miguel PalaciosによるBook of Animalsにも現れています。
チリ共和国には海獣アスピドケロンについて最も興味をそそる神話があります。この物語はおそらく先コロンブス期からあるものです。海獣はここではCueroまたはHideと呼ばれました。ヨーロッパや中東の物語との類似は、チリ人が同じ怪物について述べたことをはっきりと示しています。これらの伝説では、獣は巨大で平たく寝転がった動物のように見え、船乗りを死に誘いました。
古き怪物の別名
アスピドケロンの歴史の別の形はThe Whaleというタイトルの古いイギリスの詩から来ています。ここでのたった一つの違いは、怪物の名前がファスティトカロン(Fastitocalon)であることです。この文書の作者はわかっていません。これは古いイギリスのフィシオログス(動物寓話)に含まれる3つの詩の一つです。ファスティトカロンとは別に、この詩集には他の2つの寓話の生き物であるフェニックスとパンサーについて書かれています。
この本は福音書に収録することがほぼ確実に意図されていました。研究者はこれが悪魔や神、キリストの死と復活などの様々なキリスト教の考えを表現しようとした人物によって書かれたと考えています。フィシオログスは鯨の怪物のイメージをより強力な悪魔の同義語としました。この本は世界中で多くの言語に翻訳されました。
近代文学に生き残った神話
今日では神話的な鯨のモチーフは、この種の海の怪物が登場する全ての本のタイトルを上げきれないほど、いまだに文学でとても人気があります。トム・ボンバディルの冒険では、作者J・R・R・トールキンはThe Whaleからファスティカロンという名前をとって小さな詩を作り、彼の中つ国の伝承にアスピドケロンの物語を取り入れました。
“Look, there is Fastitocalon!
An island good to land upon,
Although ‘tis rather bare.
Come, leave the sea! And let us run,
Or dance, or lie down in the sun!
See, gulls are sitting there!
Beware!”
巨大な海獣はミヒャエル・エンデのネバーエンディングストーリーやテレビゲームのゼルダの伝説・ムジュラの仮面、世界的に有名な岸本斉史のマンガNARUTOシリーズにも登場します。様々な場所や時代で、単に鯨に出会っただけだと思われる巨大な海獣についての伝説から数世紀後、今でもそれは人々の心の中に生き続けています。
原文:Ancient Origins