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バルティングラス・ヒル:アイルランドの忘れられた遺跡

バルティングラスの石:トルコのギョベクリ・テペと関連か? (Photo © David Halpin)


ヨーロッパ全土において最も驚くべき新石器時代遺跡の1つが、ウィックローの丘高くに置かれ埋没しています。不思議な事に、今日でも多くの人々はその存在に気付いていません。

バルティングラス・ヒル( Baltinglass Hill )は、多くの人が古代天文台、廃墟となったストーンサークル、そして最近まで『墓』と呼ばれ現在では大地と星々を一直線にする儀式場らしい構造物と考えられるもので構成されている、世界で最も重要な考古学遺跡の1つです。

ここには建造物やこの廃墟周辺の地面から突き出ている巨大な長方形の柱状の厚板もあり、いくつかにはまだ埋まっているために適切に見ることのできない彫刻があります。これら未調査の石はバルティングラスから平野と林を横切り下り広がってボーリカリッジェン・ストーンサークル( Boleycarrigeen Stone Circle )まで続いています。

アイルランドのウィックロー、バルティングラス・ヒルの石。 (Photo © David Halpin)

星の神と女神たちとの繋がり
反対側のバルティングラス複合体の麓には、中東やユーラシアの彫刻に似た模様が刻まれた、かつて巨大な入口だったかもしれないものが横たわっています。

私たちが現在調査できる点から見ておそらく最も印象的なことは、丘の頂上にある1つの洞窟内部の壮大な儀式的石鉢です。おそらくこの花崗岩の聖水盤にはシャーマニズムの目的があり、向精神物質で満たされて儀式中に使われていたのでしょう。これは特定の星やアストラル体がその星の神や女神たちとの繋がりで儀式的準備を満たすことを意味する、ドルイドの天文神学的信念体系の一部である山腹を照らす特定の星座を一直線に整列してもいます。

(Photo © David Halpin)

初めはヒルフォート(要塞化された土塁)と関連付けられていましたが、バルティングラスは現在ではより謎めいていて重要な建造物の集合体だと判明しています。

多くの人々がする一般的な誤解は、アイルランドの偉大なストーンサークルやニューグレンジのようなモニュメントの建設者はケルト人であるというものですが、そうではありません。ケルト人がアイルランドにたどり着いたのは、紀元前500年頃だと一般的に同意されていますが、これは例えば、ニューグレンジの建設された時よりも私たちと時間的に近いです。

アイルランドにある先史時代のモニュメントである羨道墓ニューグレンジは、紀元前3000年から紀元前2500年頃の新石器時代に建てられた。これはストーンヘンジやギザのピラミッドよりも古い。 (Public Domain)

紀元前3500年頃のアイルランドにいた多くの人々は、実際は地中海南部とユーラシア大陸から来たということが、ダブリンのトリニティ・カレッジとベルファストのクイーンズ大学によって、2015年12月と最近証明されました。

焦らすようですが、IT Sligoの考古学者Dr Marion Dowdとアイルランド国立博物館の研究員Dr Ruth Cardenによる発見は、アイルランドは初めに考えられていたよりもっと早くから居住がされていたと示しており、これはアイルランドに実際に初めて来た人々に関する、さらにワクワクさせる発見があると私たちに期待させています。

おそらく、バルティングラスのようなアイルランドのストーンサークルとモニュメントの多くは、新石器時代に属するものではまったくなく、実際は中石器時代というギョベクリ・テペの時代とより関係しています。DNAは確かにこの可能性を認めていて、実際ははっきりと私たちに叫んでいます。しかし、その疑問はそれから尋ねなければならないでしょう。私たちはこの理論を支援する同じテーマや直列が何かあるでしょうか?

ギョベクリ・テペ
ギョベクリ・テペは現在紀元前9000年以前だとされていますが、いまだ発掘調査がされている初期の方の層では、近い将来にこの年代は押し戻されるでしょう。現在、星座との直列にはオリオン座と白鳥座という2つの主なケースがあります。

現代のトルコにあたるアナトリア地域で見つかったギョベクリ・テペは、紀元前9000年以前と年代決定されている。 (CC BY-SA 3.0)

ヒルフォート関連を放棄する別の理由は、バルティングラス・ヒルは水の供給がなく、武器が見つかっておらず、そして建物を下から襲撃するのうな、私たちが映画で見慣れている方法で住民が戦わなかったことを証拠は示しています。実際、当時の住民は非常にバラバラで、新石器時代を通じた層で揃ったものではアイルランドの人口はおおよそ10万人だと推定されています。

儀式場としてのバルティングラスの重要性と雄大さに到る全てにおいて最も有効な要素はおそらく、さらなるストーンサークルやドルメンをこの丘自体から見下ろせるという拡張にあります。

近くにあるボーリカリッジェンや、キャッスルラデリー、アスグレニーとの位置的な直列が存在しています。さらなる未発見の直列は、ドルメンの発端自体の中でバルティングラス・ヒルとボーリカリッジェン・ストーンサークルが形作られる場所であるハロルズタウン・ドルメンにてわかります。

Boleycarrigeen Stone Circle (Photo © David Halpin)

Boleycarrigeen Stone Circle (Photo © David Halpin)

Castleruddery Stone Circle (© David Halpin)

Castleruddery Stone Circle (© David Halpin)

墓への移行
数千年の間忘れられてその後の入植者に再発見された遺跡の典型で、その儀式や天文機能が失われてしまったことで、バルティングラス・ヒルは埋葬目的で使われ始めました。

小規模の発掘調査が1934年に行われた時、後の時代に行われた、少なくとも3人の成人と1人の子供の火葬の証拠が見つかりました。また、炭化したヘーゼルナッツや小麦粒、そして挽き臼場が発見されました。

現在バルティングラス・ヒルの構造物のいくつかは紀元前3300年に年代設定されていますが、将来さらに古い日付に修正されることが期待されています。もちろん私たちの主な問題は炭素年代測定が出せるのは石の上の材料の年代で、石それ自体の年代ではないということです。灰と骨はおそらその本来の儀式目的が失われたずっと後に構造物内部に配置されました。

天の直列
地元の歴史家Turtle Bunberyは夏至における北極星との直列について意見していますが、白鳥座とおおぐま座には位置的な新しい証拠があり、これは近年その白鳥座との直列がよく記載されているニューグレンジと関連しているさらなる証拠です。コンピュータソフトを使った私的な研究は6月21日(夏至)における、おおぐま座と北石、そして白鳥座と西石の直列を示しています。

Stones at Baltinglass Hill. (Photo © David Halpin)

Stones at Baltinglass Hill. (Photo © David Halpin)

しかし現在ではスカイマッピング技術が利用可能で、私たちは過去の夏至冬至や春分秋分に起きた直列を再発見できるようになり、同様に歳差運動に関係なく遺跡と関係する星の出や星座の位置を計算するソフトを使えます。

バルティングラスとボーリカリッジェンは、おそらくおうし座の時代に遺跡に関係する直列を示したのでしょうか?

Stones at Boleycarrigeen (Photo © David Halpin)

偶然にも、ボーリカリッジェンは実際に『石の中で草を食べている牛(bull grazing in stones)』を意味し、アイルランドで最も偉大な神話物語の1つである牛争い(The Tain)は伝説的な牛の盗難についてのもので、ある占星術的時代から別の時代への通過と関係している多くの類似点や寓話も持っています。

一般的にクーリーの牛争いまたはTáinと知られるTáin Bó Cúailngeは、初期アイルランド文学の伝説的物語。 (Public Domain)

現在、バルティングラスは露出して横たわり大部分が未開拓ですが、特に付随する石や遺跡は現在まで森林地帯に覆われていました。

苛立たしくも、目に見えて直列している近隣の遺跡との位置的繋がりは無視されたままで、そのためこの選ばれた景観の目的や儀式の意義は依然として謎です。

Baltinglass Hill site (Photo © David Halpin)

ギョベクリ・テペのように、多くの建造物は謎めいた建造者のために、天と地と、石と星とが繋がっている聖地として見られている必要があると詳しく考察されなければならない埋もれたままの遺跡と関連しています。おそらくいつの日か、注意深く思いやった発掘調査と探査の後に、私たちはさらにバルティングラスとその失われた天文学的・儀式的目的について知るでしょう。

 

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