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エル・カズネ(Al-Khazneh)

30° 19′ 20.82″ N, 35° 27′ 5.82″ E

エル・カズネ(アラビア語: الخزنة‎ Al Khazneh、宝物殿、英語: The Treasury)は、古代ヨルダンの都市ペトラにおける最も精緻な建築物の一つである。この古代都市の、エド・ディル(アラビア語: الدير‎ Ad Deir, 修道院、英語: The Monastery)を含むその他ほとんどの建築物と同様に、この建造物もまた砂岩の岩肌を彫って造られたものである。エル・カズネは古代ギリシア建築の影響を受けており、貴重な観光地になっている。

歴史
エル・カズネはなぜ築かれたかは不明であるが、王家の墳墓としての役割を果たし、おそらく紀元前100年から紀元後200年の間にその原型が造られた。そのアラビア名である宝物殿の名は、盗賊あるいは海賊が、第2層の高所にある石の壺の中に略奪品を隠したという一つの伝説に由来する。壺には銃弾による著しい損傷が見られる。地元の伝承では、これはベドウィンによるものであり、それを壊して、中の「宝」を落とし取ろうと壺を狙い撃ったと言われている(しかしながら装飾の壺は砂岩の塊である)。もう一つには、モーセの時代にエジプトのファラオの宝物庫(カズネ・ファルウン、Khaznet Far’oun)の役割を果したともされる。
建物の建築装飾の多くは、崖を刻んで彫刻されて以来2000年の間にかなり浸食された。その彫刻は来世に関連した様々な神話上の人物像であると考えられている。
葬儀室が1938年に加えられた入口階段の両側にある。

上部には、魂を運び去る4羽の鷲が彫像に表されている。上層の像は両刃斧を持ち踊るアマゾネスである。入口の両側には、あるときはオリンポス山に住みあるときは冥界に住んでいたカストルとポルックスという双子の像がある。

観光の影響
1812年、都市ペトラとエル・カズネはスイス人探検家のヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって再発見された。西洋は中東の植民地化を続けるため、観光はさらに一般的になり、1920年代には小さなホテルがペトラ近くに開業された。ペトラはカイロのようなより中心の都市より人気があるわけでないが、観光は近郊に住むベドウィンの人々の経済と社会構造を変え始めた。

観光は今ではヨルダンの主要な収入源である。ホテル、土産物屋、レストラン、馬のレンタルサービスは、ペトラの半径数マイルで全て見つかる。経済効果は大幅にプラスになっていたが、遺跡自体は観光の増加からの脅威に直面している。

遺跡を訪れる大群衆からの湿気は乾燥砂岩に損傷をもたらす可能性がある。壁においた手よるステアリン酸沈着の白い斑点が壁などに現れている。エル・カズネの表面自体は触ったりもたれかかったり擦ったりで少なくとも10年で40ミリ後退している。

参考:
エル・カズネ - Wikipedia
Al-Khazneh - Wikipedia

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