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驚異のコキノ天文台ー古代の巨石遺跡、聖山

古代天文台。このフレーズだけで((o(´∀`)o))ワクワク
場所は東ヨーロッパの国、マケドニア共和国。
なんでもNASAが認めた4番目に古い古代天文台なんだとか。

約4,000年前、先史時代の天体観測所で、クレーターから噴出した溶岩が風化してできた割れ目が、太陽や月の運行を測る目的に使われたとされています。(やまおとうみ

ちなみにNASAでは
1番目 エジプトのアブシンベル
2番目 イギリスのストーンヘンジ
3番目 カンボジアのアンコールワット
4番目 マケドニアのコキノ
5番目 ドイツのゴセックサークル
を古代天文台としているそうです。
Sister Sky

この記事を見ると、古代では太陽や月の動きを見ることが宗教儀式と結びついていることがわかります。生活に必要な知識・技術が崇拝の対象になるというのは古代では普通なのかもしれません。

関連記事は今後紹介します。


The Exceptional Kokino Observatory – Ancient Megalithic Site, Holy Mountain

21世紀の夜明け、マケドニア共和国のコキノ村近くTaticの石と呼ばれる場所で、考古学者たちは青銅器時代にまで遡る先史時代の特殊な巨石遺跡を発見した。これは標高1013mの山頂、安山岩で作られた新火山プレートの上に建てられている。

この遺跡から発掘された可動考古学資料により、考古学者たちは何らかのカルト活動が行われていたと考えています。研究者らは大量の割れた陶器や青銅斧の金型、および宝石類を発見した。さらにこの遺跡にそびえ立つ岩の割れ目の中から供物が満たされた器の残骸が見つかり、ここが『聖なる山』と呼ばれるに至った。

コキノ天文台で見つかった遺物の展示(Public Domain)

ただ、この遺跡で最も興味深いのは、4つの印象的な石の玉座が地形を見下ろし東の地平線を向いていることである。

Taticの石(Ancient Origins

これら玉座は遺跡の天文考古学的特性を測定・分析した研究者の注目を集め、Taticの石が聖地と巨石天文台の両方の要素を持っていたと証明した。

巨石の玉座

4つある石の玉座のそば、7つ以上のマーカーが簡単に刻まれた垂直に立っている安山岩があります。これらのマーカーは冬至と夏至、そして春分秋分に太陽が上る位置を示しています。また夏至を表すマーカーの隣に、月の動きと満ち欠けを測定するために使われたマーカーがあります。正確な日に太陽光線がマーカーを通過して王座のいずれかを照らすように、このすべてが特別な方法で造られました。

この目を見張る光景は、この遺跡の中央に立った人にとって、そして天体の動きを観測するためには驚くべきものだったに違いありません。

また、もっとも重要な出来事の日には、山頂の玉座の後ろで大きな火が焚かれたと推測されています。その火は30km以上離れた全ての住人から簡単に見ることが出来ました。

天文考古学的な計算

太陽観測のために作られた水平座標のマーカーを計測した後に、赤道座標系から通過する数式(sinδ = cosAcosφcosh +sinφsinh ; δは天体の赤緯、Aは方位角、hは地平線からの高さ、φは遺跡の緯度)を利用して、東から上る天体の性質について結論が出された。

プロの測量技師(地球の大きさや形状、潮と重力場を測定する専門家)と光学測量機器のトータルステーションの助けを借りて、天文考古学者たちは疑いようのない非常に正確な測量地を得て太陽の赤緯を計算しました。

トータルステーション(Wikimedia Commons

※訳注:トータルステーションは測量に使われる機器のこと。3本脚で町中でもよく見るものか。
距離を測る光波測距儀と、角度を測るセオドライトとを組み合わせたものであり、従来は別々に測量されていた距離と角度を同時に観測できる。(Wikipedia

計算値は紀元前1800年の夏至の日における太陽の正確な赤緯値、δ = 23,90でした。これは製作者が紀元前1800年にこれを作ったことを意味しています。これは考古学者だけでなく天文学者や物理学者にも同時期に、この天文台の日付を定めることを可能にしました。

先史時代の王と儀式

天文考古学者たちは、玉座の主な目的が太陽神と地上の代表者を繋ぐ儀式を行うことであったと考えています。玉座のひとつにはその上から切り離されたマーカーがあり、この石はこの遺跡で最も高い場所に置かれています。これは支配者が座っていたと思われる場所。この玉座のマーカーは、儀式の日にコミュニティの最も強力なメンバーが座っていた場所へ正確に太陽の光が指すよう、確実に高い精度で切り出されました。来る一年の平和と繁栄を確保する儀式のようなものと収穫の終わりが高い可能性で一致しています。儀式マークの基底で発見された20手のグラインダーはこの説を支持しています。

ストーンヘンジやカンボジアの寺院のようなこれによく似た天文台は、満ち欠けや19年の日食サイクルを表す月のカレンダーである考えられています。これは当時の非常に高度な知識ですが世界中に存在していました。我々はこれらの天文台を作ったのがどのような人々だったのか推測することができますが、彼らがどこからその知識を手に入れたのか。それは今でも大きな謎となっています。

イングランド・ウィルトシャー州にある先史時代のモニュメント、ストーンヘンジ (Qalinx/CC BY 2.0)

今日、NASAはコキノを世界でもっとも重要な天文台の一つとして認識しています。UNESCOもまた、コキノ天文台が重要なニーズや信念、さらに当時の人々の人生における最も重要な儀式満足させるために自然の景観を使用する際の人間の創造的才能の独特な言明を表明していると判断しています。

しかし、考古学者はまだ周辺から非常に重要な同時期の他の遺跡を発見することに苦労しています。そのため我々は簡単にはこの天文台を置くことは出来ませんが、高度に文明を発達させました。このような種類の遺跡がどうやって誰が何の目的で作ったのか、正確で詳細な知識を私たちに与えるのは未来の科学者に任されています。

驚異のコキノ天文台、日没 (markoskavensa/CC BY-SA 2.0)

サムネイル: The beautiful and astounding archaeo-astronomical site, Kokino Observatory, or Tatic’s Stone. (CC BY-SA 3.0)

コメント (1件)

  1. 岩波八尋

    興味深く拝見しました。当方でも次のような遺跡を見つけています。

    山梨県北杜市にある縄文後期の金生遺跡では、通称茅が岳の稜線の裾で冬至を見て、金が岳のピークで立春日 冬至から45日目 を観測していたことを見つけました。
    日の出はこのような観測をして、甲斐駒ヶ岳で夕日を観測するカレンダーを備えていたものと考えています。この遺跡の立地は太陽観測の天文台であり、配石からもそのことは窺えるようです。山梨では縄文中期には二至二分を見ていた遺跡がありまして、ここ後期の金生遺跡での太陽観測は、二至二分から進んで、四立、八節の暦を持っていた証拠であると考えます。これは周の四立に先立つこと千年で、四立、八節の暦は金生遺跡からチャイナに伝わっていたものとだろうと考えています。 

     

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