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ナバテア人の古代モニュメントは天文現象に沿って作られた

またもや古代の天文知識に関する内容です。

場所は中東・ヨルダンにある世界遺産としても有名なペトラ遺跡。ここにはナバテア人が建てたとされる古代の記念碑的な建造物があります。

ナバテア人については知らなかったのですが、

ナバテア人は元来北アラビアを起源とする遊牧民族であり、羊の放牧や盗賊稼業、ラクダを利用した貿易などを行いながら、当時エドム人が居住していたペトラを拠点に生活していた(Wikipedia

という民族のようです。
ナバテア人についてはもっと調べて、別の記事にしようと思います。

しかし、古代の人々の天文知識には驚かされます。個人的には「空しか見るもんなかったから」説を支持していますが、それをわざわざ建造物に織り込むということは、古代の人々が単なる娯楽ではなく重要な知識と考えていたんでしょうね。

あの矢追さんはUFOを広めた理由に「空を見上げる人が減ったから」と言っていますが、空を見上げながら歴史や宇宙の真理についてなんかを考えるのもたまにはいいかもしれませんね。


Ancient monuments of the Nabataeans were built according to celestial events

Nexus Network Journalによる3月の発表では、少なくとも2,300年前にナバテア人によって建てられた、有名な都市遺跡ペトラを含む宮殿、寺院、そして墓の空間的な位置は、太陽やその他の天文現象によって決定されていたということを提示しています。

研究はスペインのカナリア諸島天文物理学研究所(IAC)科学遺産研究所(CSIC)、そしてイタリアのペルージャ大学の研究者らによって行われました。ナバテア人によって建てられた重要な古代モニュメントの空間的な位置を統計分析を使用して計測したところ、と偉大な建造物は春分秋分や夏至冬至、さらにその他天文現象と関連付けられていたとする結果が出ました。

『ナバテア人のモニュメントは、景観が特色を持っていて、太陽や月、その他の星が相互に作用する素晴らしい研究所だ。』と、IACの研究者であり研究の取りまとめを行うJuan Antonio Belmonte氏は語る。『天文学的な方向指定は、ほとんどの場合精巧な計画の一部だ。』

謎のナバテア人は元々は遊牧民でしたが、2500年前に、紀元前1世紀から紀元1世紀に栄えた大きな集落や都市の構築を始めました。同様に農業活動を始めて、政治システム、芸術、土木技術、石工技術を開発し、井戸・貯水池・用水路の建設を含む驚異的な水力の専門知識を実際に持っていました。今では天文学の達人でもあったということになります。

彼らは交易ルートを拡大し、現在のシリアとサウジアラビアの地域に合計2,000ヶ所以上の拠点を作りました。考古学者はナバテア人の歴史を解き明かそうとしており、その多くが依然としてわかっていません。彼らが遊牧民から偉大な都市の建設者への素早い転換をどう管理したかは非常に難解です。

天体イベントに基づいて建てられた建造物の一例はアド・デイル、ペトラの修道院です。冬至の間、日没の光がモニュメントの門を通り、置かれているドゥシャラのような神々を表す聖壇(motab)を照らします。しかしそれが全てではなく、その瞬間に別の信じられない出来事が起こります。日没は門の向かいの岩に、ナバテアの女神アル・ウッザの動物であるライオンの頭の顔つきを再構築します。

マリクス2世が埋葬されているとされる有名な骨壷墓所(Urn Tomb)の数学的計算も天文図に従っていると証明しています。この墓所の主要な門は昼夜の時間が同じとなる春分秋分の日没に従ってその環境の中央に配置され、夏至と冬至の太陽光線は建物内部の2つの角を照らします。

骨壷墓所(Urn Tomb) Wikimedia

『我々は、それが骨壷墓所のホールを計時装置の一種へと変換する意図的な試みだと考えています』、とBelmonte氏。

この研究の著者は、天文学的特徴を持つナバテア文化の荘厳な古代モニュメントは『ナバテア宗教の重要な要素』であり、『天球を中心としたカルト的礼拝の新しい証拠』であることを明らかにしている、と結論づけました。

サムネイルは引用元より。

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