• スポンサーリンク

失われた都市ヘリケーの発見

世界には、アトランティスのように海に飲み込まれた遺跡が数多く存在しています。

今回紹介する遺跡は、ギリシャのアカイア(Achaea)にあるヘリケー(Helike)。発見が2001年、そしてヘリケーに同定されたのが2012年なので、比較的最近明らかになった遺跡のようですね。

発掘調査が続いているのも納得です(๑• ̀ω•́๑)✧

Wikipediaの緯度経度は上の地図の場所なんですけど、これより少し北にあるところが発見された遺跡っぽい感じがします。

記事の翻訳には「ポセイドンのカルト」とありますが、ギリシャ神話は元々それぞれの都市が奉っていた守護神をギリシャ全体の守り神として体系化したものなんです。

なので、人々は神話に登場する神全員を信仰していたわけではなく、アテナだったりを都市の守護神としてメインで信仰していました。都市だけではなく、ある神を中心として奉っていた団体もありました。ディオニソスのカルトとか呼ばれるやつです。今回のヘリケーではポセイドンを守護神としているので、この街の人々はポセイドンのカルトを信仰していたとされています。

サムネイル: Wikimedia Commons


Uncovering The Lost City of Helike

アトランティス崩壊は古代ギリシャの最も有名な物語の一つですが、それによく似た話に都市ヘリケーの崩壊というものがあります。アトランティスとは違い、この都市についてはより多く記述されています。そのうえこれらの記述には、都市の本当の場所を探す考古学者を手助けする手がかりが含まれています。これら手がかりを使うことで、考古学者はついに失われた都市を探し出すことができるようになりました。

ヘリケーはペロポネソス半島北西部、アカイアに位置しています。最盛期には、ヘリケーは周辺の12地域からなる最初のアカイア同盟のリーダーでした。この役割によって、ヘリケーは経済・文化・宗教の重要な中心地でした。ヘリケーの権力の大きさは、イタリア南部のシバリスや小アジアのプリエネのような植民地を建設したことからもわかります。

ヘリケー出土のコイン。表:ポセイドンの頭部、裏:トライデント. Photo source: Ancient Origins

ヘリケーの守護神は、ギリシャ神話の海と地震の神ポセイドン。これは不思議なことではなく、ヘリケーのあった場所はヨーロッパで最も地震活動が活発な地域だからです。ポセイドンのカルトはヘリケー・ポセイドン銅像がある寺院や聖域、そして表には神の頭と裏にはトライデントが描かれたコインから見ることができます。

ヘリケーの守護神ポセイドン(右). 「ポセイドンとアムピトリーテーの結婚」 フェリーチェ・ジャーニ作 (Wikimedia Commons)

紀元前373年冬のある夜、ヘリケーの街は跡形もなく消されてしまいました。「広大な炎の列」の出現や、災害の数日前に小動物が海岸から山地に大移動していたことなど、街に破滅が差し迫っている兆候がいくつか記録されています。大地震、それに続くコリント湾からの大津波によって、ヘリケーの街は地表から消えてしまいました。次の朝に救助隊が派遣されましたが、生存者は見つかりませんでした。

ヘリケーの崩壊はポセイドンによるものでした。物語によると、ヘリケーの住民が自身がモデルなのにも関わらず、アジアからイオニア人植民者に送られたポセイドンの銅像を渡すことを拒否したために海神は激怒しました。いくつかの記述ではイオニア人代表は殺害されたともしています。その結果として、ポセイドンはヘリケーの住民を、海に街を飲み込ませるというアトランティスで起きたことと非常によく似た形で罰しました。

伝説によると、ヘリケーを飲み込ませるためにポセイドンは巨大な波を作った (Wikimedia Commons)

アトランティスとは違いヘリケーは完璧に失われたわけではなく、続く数世紀は旅行者が訪れていたようです。崩壊の150年後にここを訪れた哲学者エラトステネスは、「ポロス」にはポセイドンの銅像が沈んでいて、漁師の網には危険だと記しています。ギリシャの旅行者パウサニアスもここを訪れ、古代都市の壁がいまだに水面下に見ることが出来たが以前よりも塩水で腐食していた、と記しています。古代ローマ人も船からこの遺跡を見るのを好んでいて、街の彫像を称賛していました。しかしながら、ヘリケーの場所は時間とともに忘れられていきました。

ポセイドンの銅像。ヘリケーで見られたものと似ているとされる (Wikimedia Commons)

19世紀初頭にはヘリケーの実際の場所についての推測が始まっていましたが、ヘリケーが再発見されたのは20世紀の終わりでした。ヘリケーは水没した街ですが、その場所は水中考古学最大の謎の一つとなっています。さらに、コリント湾のどこかに街が隠されているという確信が発見を不可能にしていました。1988年、ギリシャ人考古学者のドーラ・カツオノプロ(Dora Katsonopoulou)が、古代のテキストにて「ポロス」は海を指しているのではなく、内陸の池ではないかという可能性を提起しました。もしそうならば、ヘリケーはコリント湾に位置していないというのはもっともですが、内陸だとすると、池は数千年もの河川堆積物で埋まっているかもしれません。チームは青銅器時代初期のローマ都市を発見し、2001年にはギリシャのアカイアでヘリケーを発見しました。2012年には破壊された層が明らかになり、この遺跡が本当のヘリケーだと確認されました。

ヘリケーの街は再発見されましたが、発掘調査は今も行われています。これは重要なことで、この地域は異なる民族の集団が居住していたため、集落を明らかにすることを通じて、先史時代から現代まで歴史の様々な時代に関するこの地域の全体像を描くことができます。ヘリケーの物語は素晴らしいかもしれませんが、結局は、数千年にまたがる長い出来事の中の一点にすぎないのです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

  • スポンサーリンク