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冶金技術の始まり

石器時代の終わりに人間が金属を発見して以来、少しずつ金属器が使用する技術が開発されていきます。これは医学薬学と並んで錬金術において重要な『冶金技術』の始まりということです。

金属の発見

人間が最初に使用したと考えられているのはどうやら「金」のようです。スペインの洞窟から後期旧石器時代、40,000BC頃に使われたとされる少量の自然な金が見つかっています。かなり早いです。同様に銀、銅、錫、隕鉄が自然な形で見つかるため、限られた範囲での冶金が当時の文化にて行なうことができたでしょう。3000BC頃に隕鉄から作られた武器は「天界からのダガー」と呼ばれて珍重されたようですよ。

古代には金、銀、銅、錫、鉛、鉄、水銀という7つの金属が知られ使われていました。これらは融点が比較的低いという特徴を持っています。水銀 −38.829 °C、錫 231 °C、鉛 327 °C、銀 961 °C、金 1064 °C、銅 1084 °C、鉄 1538 °C。焚き火を使って土器を野焼きした場合の温度は700~900℃くらいのようなので、窯で本格的に行なえば当時でも十分に融解させることができそうです。ただし鉄は融点がより高いので当時は完全に融解できず、半固体状の鉄を鍛造する必要がありました。鉄の使用は1200BC頃のヒッタイト登場まで待たれよ。

冶金とは

上で『冶金』という言葉を使いましたが、Wikipediaでは「冶金(やきん)とは、鉱石その他の原料から有用な金属を採取・精製・加工して、種々の目的に応じた実用可能な金属材料・合金を製造すること」ということとなっています。英語ではmetallurgy(メタラージィ)と言い、金属の性質に関する材料工学といったところです。Metallurgy – Wikipediaには、「議論されているが元々錬金術師が使っていた単語である」みたいな事が書かれています。やっぱり冶金は錬金術の柱ですね。

冶金の作業のうち、金属を取り出すために鉱石を溶かすことをスメルティングsmelting、溶かした金属を型に入れて成形することをキャスティングcastingと呼ぶようです。

さて、人類はどのように金属を発見したのでしょうか。まずはおそらく土器や陶器を焼く窯の発達があったと思います。

窯の発達

まず土器とは、Wikipediaによると「一般には粘土を窯で焼かず、野焼きの状態で700–900℃の温度で焼いた器のことを指」すものです。初めは草で編んだカゴを入れ物として使っていたが、煮炊き用に粘土を使った器を使うようになり、カゴに粘土を付けて、またはひも状にした粘土を積み重ねて成形していった。粘土は水っぽいので使用には乾かす必要があると考えたか、煮炊きする際に容器の強度が上がることに気がついたのかもしれません。とにかく、成形した容器を古代の人々は火にかけました。そこから土器を焼いて使うことが始まります。最初は野焼きで、それから火を制御して効果的に焼くために窯を使うようになったのでしょう。

知られている最古の窯が現在のイラクにあるヤリム・テペから見つかっていて、年代は紀元前6000年頃とされています。初めは原始的なもので、石を積み上げたものだったかもしれません。もしその石の中に鉱物が含まれていたとしたら。

最古の銅器はイラクで見つかった紀元前8800年頃の銅製の小玉とされているので、土器を焼く時に一緒に焼いたら鉱石が溶けて固まってたというような、偶然の発見だったのかもしれません。この辺は想像ですけどね。そこから金属をたくさん集めて溶かしてみようと思ったのではないでしょうか。

精錬 – スメルティング

様々な不純物と一緒になって鉱石として見つかる錫や鉛、銅などは、単純に石を熱したものや窯(原始的な高炉)を使って溶かします。それがスメルティング、精錬です。

世界最初の金属精錬の証拠は現在のセルビア(イタリアの東、ギリシャの北あたり)にあるマイダンペク(Majdanpek)、ヤルモヴァク(Yarmovac)、プロチュニク(Plocnik)の考古学遺跡から見つかっています。年代は紀元前5~6千年紀ころとされています。プロチュニク近くのBelovode遺跡では世界最古とされる銅精錬の証拠が発見されています。

また、最古の窯が見つかった上記のヤリム・テペからは鉛の使用が確認されています。純粋な鉛は自然に存在することが非常に稀なため、紀元前6千年紀には銅よりも早く鉛の精錬が行われていた可能性が指摘されています。
この遺跡からは同時期(6000BCのすぐ後)の銅精錬の証拠も確認されていますが、鉛が銅よりも先行していたようです。

銅精錬はヤリム・テペの北西約7.5kmにあるテル・マグザリヤ?(Tell Maghzaliyah)からも見つかっていてさらに時期が早いとされていますが、窯が全く見つかっていないとのこと。

 

その後、近東にて3500BC頃、作成可能だった金属である銅と錫を混合した合金、青銅を作り上げました。この技術転換をもって青銅器時代の到来となります。

ヤリム・テペの証拠を考えると、窯と金属精錬は関連性があると思います。土器を作るようになり、それを焼く窯を発展させる途中で金属の存在に気が付いた。そして並行して金属加工の技術を高めていったと。

想像を含みますが、こうして考えると人類が金属を発見して利用するようになったのは、多くの偶然が重なったように思えます。「運命は必然でなく偶然」なんて言葉もありますが、まさに偶然の連鎖という奇跡があったからこそ今の私たちがあるように思えてなりません。

 

参考資料:
Metallurgy – Wikipedia
土器 – Wikipedia
陶磁器 – Wikipedia
野焼き(縄文土器の焼成)1
土器 – Jinkawiki
persee

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