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アダムのカレンダー:世界最古の巨石遺跡?

アダムのカレンダーと呼ばれる巨石遺跡が南アフリカにあります。今までまったく知りませんでした。

巨石遺跡といえば、ストーンヘンジとかピラミッドみたいに、ヨーロッパや地中海周辺に多いと思っていたけれど、どうやらそれらの遺跡よりも断然古いようです。

研究は今でもなされているようですが、作られたとされる年代は75,000年前または16万年前と言われています。しかも石が天文学的な配置にもなっているとか。

メソポタミアの農業遺跡がおよそ1万年前なのではるかに古い。16万年前だとホモ・サピエンス登場の後くらいかな。もしこれが本当に当時の人類が建設したものだとしたら、農業と関係なく天文学的な知識を必要としてたのも興味深い。

世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるなー。
でもそこがおもしろいんだよね(๑• ̀ω•́๑)✧


Adam’s Calendar: Oldest Megalithic Site in the World?

アダムのカレンダーは世界最古の人工建造物ではないかと議論されています。時には『アフリカのストーンヘンジ』とも呼ばれ、イギリスのストーンヘンジやギザの大ピラミッドよりも数万年は先行しています。南アフリカのムプマランガにあり、いくつかの根拠によって75,000年前に作られたとされる直径30mのストーンサークルが立っています。様々な天文的配置がこの遺跡で確認されていて、もしかしたら完全に機能的でほとんど手付かずに残された世界唯一の巨石カレンダーかもしれません。

アダムのカレンダーは風光明媚の地、南アフリカのムプマランガに位置している。 (Wikimedia Commons)

南アフリカの山全体に数千ものストーンサークルが散在しています。この遺跡の数は、1891年にイギリス人探検家Theodore Bentによって最初に推定されました。彼はこのエリアにはおよそ4000ヶ所はあると推定しました。その後1974年には推定値は20,000まで増え、現在では、この分野の研究者であり権威でもあるMichael Tellingerは、古代石造遺跡の数を100,000かおそらくもっと多くなると推定しています。これらの『ストーンサークル』のいくつかは扉や入口を持っていない一方で、歴史家がよく『道路』と誤解する広大な経路網でほとんどが繋がっています。この円形遺跡の繋がった経路網は、この遺跡を囲んでいる見渡すかぎり広がる古代の棚田に沈み込んでいます。アダムのカレンダーは、これらの遺跡の中で最も有名なものだと考えられています。

グーグルアースで見た南アフリカの小さなエリアのスクリーンショット。古代の土木工事や石の建造物が山程ある。 (Google Earth)

アフリカの長老に『太陽の生誕地』または『Inzalo y’Langa』として知られるこの遺跡は、南アフリカのパイロットJohan Heineによって最初に大衆の注目を集めました。彼は南アフリカ・ムプマランガの山々の上空を20年以上にわたって飛んでおり、一帯に広がる数千もの奇妙な円形の石造物に興味を持って写真を撮り始めていました。これらの起源の専門家に意見を聞くと、14世紀頃にバントゥー族が北から移住した時に残された『家畜囲い』の残骸だと説明されました。現在この理論は、構造が他のどのバントゥー族の家畜囲いとも似ていないことから、確実からは遠いように思われています。バントゥー族の家畜囲いは、通常1つの出入り口を持つイバラの低木で作られており、数万マイルも広がる幾千もの囲いもあります。

バントゥー族の家畜囲い(Image source)

乗組員の1人を巻き込んだ航空事故は偶然にも、Johanに神秘的な一枚岩のサークルの発見をもたらしました。墜落した飛行機のパイロットを探す通り道だった崖の端で、Johanは事故現場の隣の地面から突き出ている大きな石の配置に気がつきました。崖の斜面に落ちて負傷したパイロットを救出しながらも、Johanは一枚岩の上を歩いて調べ、それらが東西南北だけでなく春分秋分・夏至冬至を示して整列させられていることを理解しました。少なくとも3つの一枚岩が日の出に向かって整列しており、整列する岩の西側の地面に奇妙な穴がありました。数週間数ヶ月の測定と観測をした後、Johanはこれは石のカレンダーではないかと疑い始めました。

この遺跡は、太陽の動きを追跡するために配置され、岩の上に影を落とすところから、それにふさわしくアダムのカレンダーと名付けられました。これは背の高い中央の一枚岩から横の平らな石の上に、沈む夕日の影が動いていくことでカレンダーとして今でも完璧に動作します。この驚くべきカレンダーはもともとストーンヘンジに似た大きな円形の石造物で、「円」の中心には彫刻がされていたと言われる2つの直立した石があります。元の形状は今でも衛星画像からはっきりと見えます。石はすべてドロマイトで、重さはそれぞれ5トンにもなり、離れた場所から輸送されてきたと言われています。特筆すべきは、アダムのカレンダーの周囲に金が非常に豊富だということです。世界で最も豊かな稼働中鉱山のひとつである、現在のムプマランガのシバ金鉱を含めたいくつかの採掘シャフトが報告されています。1880年代に注目を集めた豊富な金鉱脈だけでなく、歴史的な文明の金属採掘に関する初期の証拠が、初期のヨーロッパ人によって記述されました。

Rodney Haleによるアダムのカレンダーの紀元前11500年当時の整列位置 (andrewcollins.com)

カレンダーが作られた時代を測る最初の計算は、輝く3つ星が神話の狩人が着ける『ベルト』だとして知られる星座・オリオン座の上昇に基づいていました。地軸が揺れ動くために、星や星座は夜空に現れる角度を周期的に変えます。この歳差運動と呼ばれるこの現象は約26,000年で一周するため、オリオンのベルトの3つ星が地平線と平行になった時を決めることで、カレンダーの3つの石が星と合わせられた時を推定できます。Tellingerによると、天文学者のBill Hollenbachによってオリオン座の上昇に基づく計算が完了し、この遺跡が少なくとも75,000年前のものであると示唆されました。2009年6月には、オリオン座が「地平線と水平」ということだけでなく、遺跡で見つかった「ドレライトの侵食」にも基づいてさらなる計算が行われ、少なくとも160,000年前のものだと示唆されました。目印となる石のいくつかは折れて地面に倒れ、自然の侵食にさらされていて、3cmほどの破片を元に戻した時には既に摩耗していました。これらの計算は、ドレライトの侵食速度の計算による遺跡の年代評価を手助けしました。

遺跡の音響効果をテストするMichael Tellinger (andrewcollins.com)

ストーン・サークルとアダムのカレンダーの最新かつ最も興味深い発見は、岩石層の下の大地からの可聴周波数についてです。現代技術で、Tellingerと科学者たちは、電気を通すサークルの内部で大地が作り出す音響特性を持った可聴周波数を検出し測定することが出来ました。石の下の大地が作るこれらの可聴周波数は、地面に表れる神聖な幾何学の花の形をしています。(訳注:ここうまく訳せませんでした)

アダムのカレンダーには、誰が作り上げたのか、その文明はどんなものだったのか、どうやってこのような正確さで建造したのかなど、まだ理解すべきことが多くあります。おそらく、これからの更なる研究がこの謎をつなぎ合わせることだろう。

サムネイル: Adam’s calendar, Mpumalanga, South Africa (getaway.co.za)

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