石器時代の人類が金属を精錬して使い始めることで、青銅器時代に突入します。おおまかに約BC6000年から青銅器が使われるようになったようです。ここでは青銅器時代について日本語Wikipediaより引用、英語Wikipediaを参考にまとめます。
そもそも青銅器時代とは
青銅器時代とは、デンマークのクリスチャン・トムセンが提唱した歴史区分法の一つである三時期法に依拠する概念である。この三時期法は、社会の歴史的な時間の流れを、主に利用されていた道具の材料によって石器時代、青銅器時代、鉄器時代と3つに区分する考え方であり、青銅器時代はその中の真ん中の時代に相当する。
青銅器時代は多くの文明において国家形成の開始された時期に当たり、世界最古の文字が発明されたのもこの時期にあたる。このため、各文明においては先史時代と歴史時代の両方の面を持つ。メソポタミア文明においては都市の形成は新石器時代後期にさかのぼるとみられているものの、歴史をしるすことのできる文字の発明は青銅器時代に入ってからのことである。エジプト、中国の各文明においては青銅器文明に入った後に国家の形成が行われ、歴史時代へと入っていった。またこれとは逆に、西ヨーロッパや北ヨーロッパのように青銅器時代を通じて国家の形成が見られず、先史時代にとどまった地域も存在する。
石器時代からの移行はBC6000年からBC2500年頃、当時人々のほとんどが住んでいた北アフリカやユーラシアで起きた。人間が冶金を行なっていた最初の証拠は、現在のセルビアにあるマイダンペク(Majdanpek)、Yarmovac、プロツニク(Pločnik)の考古学遺跡から見つかったBC5000年~BC6000年期のものとされる。見つかったBC5500年頃の銅斧はヴィンチャ文化(Vinca culture)に属する。
アメリカ大陸は青銅や鉄の精錬が広く行なわれたわけではなかったが、金銀の装飾など金属加工の技術は存在した。
青銅は銅と錫の合金であるため、当然ながら、ある社会が青銅器時代へと移行するためには、交易によって他の文明圏から青銅器自体を大量かつ恒常的に入手できる例外的な場合を除いては、鉱物資源の入手が可能な状況が存在しなければならなかった。また同時に、火の制御と利用に関する高度な技術や冶金術の発達も必要とされた。
石器時代の終わり
石器時代の終盤、人類は自然金や自然銅などの鉱物を加工することを覚え、やがて銅を加工した金属器を使用するようになった。この時代のことを銅器時代、または金石併用時代と呼ぶ。ただし銅は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできず、金属器と石器の併用される時代が続いた。やがて自然に結晶化した鉱物だけでなく、鉱石に含まれる金属を精錬する冶金技術を手に入れた人類は、じょじょにさまざまな金属を使用するようになっていく。こうした金属の中に、スズがあった。スズは融点が低く、主要鉱石である錫石からの精練が容易であるためかなり早くから実用化された金属であるが、このスズと銅を同時に溶融して合金である青銅を開発したことで、青銅器時代がスタートした。もっとも、初期の青銅は二つの金属を混合したものではなく、スズ成分を多く含む銅鉱石を精錬した際に偶然発見されたと考えられている。
1991年にイタリア・オーストリア国境のエッツ渓谷で見つかったアイスマンは約5300年前の男性のミイラで、銅の斧とフリントのナイフを所持しており、金石併用時代の重要な証拠とされている。
青銅がもてはやされた理由は、展延性に富み加工性に優れていたことと、銅に比べ融点が低く溶融しやすいにもかかわらず非常に硬度が高く、武器や農具などにも使用可能であったこと、青銅器が示した熱伝導性や耐久性や光沢という金属の一般的な性質が当時の人々にとって希少価値を有していたことにあると言われている。
ただしスズは加工は容易ではあるものの非常に地域的な偏在が激しい鉱物のひとつであり、スズを入手できなかった地区においては青銅器時代に到達せず、石器時代が非常に長く継続することも稀ではなかった。またこうしたことからスズは青銅器時代において非常に重要な交易物資として扱われた。銅もスズほどではないがどこにでも産出する性質のものではなく、これらの物資はしばしば文明地域から離れた地域において調達された。シュメール文明においては銅はイラン高原から、のちにはマガン(現オマーン)から、スズはアフガニスタン西部から、それぞれ輸送されてきたが、このことははるかな遠隔地との間を結ぶ長距離交易システムがすでに構築されていたことを示している。こうした青銅器時代の交易船からは、しばしばスズや銅のインゴットが発見され、この二品目が青銅器時代において大変重要な交易品だったことを示している。
また中東で見つかる銅はヒ素を含んでおり、早くから健康リスクに気づいたため、より安全なヒ素を探す必要性もあった。
青銅器の獲得により、石器時代に比べ、農業生産効率の向上、軍事的優位性を確保する事が出来、それによって社会の大幅な発展と職業の分化、文化レベルの向上が起こったと考えられている。こうしたことから、青銅器時代に入った地域においては各地で文明が成立し、周囲の農耕民が集住してできた都市が形成され、やがて国家を形成するようになっていった。このほか、文字の発明やウマの広汎な使用、車輪の使用、身分の分化などもこの青銅器時代に端を発する。
参考資料:
・http://www.eitoku-sugimori.com/kodai.htm
古代の鋳造方法を推測して青銅を鋳造した実験について書かれています。作業上の都合で鉄器を使用していますが、古代人は地形や風などの自然を上手に使ったのではないかとしています。
・http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/zairyou/historym41bronze.htm
出典:
青銅器時代 – Wikipedia
Stone Age – Wikipedia
Bronze Age – Wikipedia
Tin sources and trade in ancient times – Wikipedia
アイスマン – Wikipedia