46° 22′ 26.4″ N, 0° 4′ 3″ W
ブゴン・コンプレックス(CC BY-SA 3.0)
ブゴンの古墳またはブゴンのネクロポリス(仏語:”Tumulus de Bougon”, “Nécropole de Bougon”)は、フランス、ポワトゥー・シャラント地域圏のエクソダンとパンプルーの間にある、ラ・モット=サン=テレ近くのブゴンに位置する5つの新石器時代古墳の集合体。これらの発見は1840年になされて大きな科学的注目を集めた。モニュメントを守るため、1873年にドゥーセーブル県に取得された。発掘は1960年代後半に再開された。この先史時代モニュメントで最古の建造物は紀元前4800年のものとされている。
考古学遺跡
遺跡はブゴン川の湾曲部内にある石灰岩台地に位置している。この地域は『Les Chirons』として知られていた。
古墳A
紀元前4千年紀に建てられたこの階段状の塚は、直径が42mで最も高いところは8mある。内部の大きな長方形の部屋(7.8×5m)は古墳中心の南側にある。これに中心から外れた通路がつながっている。この通路は紀元前3千年紀までは使われていたという証拠がある。部屋の壁には人工的な形をした立石があり、隙間はドライストーン工法で満たされていた。部屋は重さ90トンのキャップストーンで覆われていた。これは一枚岩の柱2つで支えられ、この柱が部屋を区切りともなっている。
1840年の調査中、約200の人骨が石の平板で分けられた3つの層から発見された。その初期調査の漠然とした報告が詳細な時系列分析を妨げた。平底と丸底の陶器やビーズ、穴の空いた歯、貝殻の首飾り、閃緑岩のメイスを含む石器などが付随して見つかった。さらなる現在の発掘は、この墓が建設直後に放棄されたことを示す。通路は大きな石の平板で塞がれていた。底部には生涯で3回の頭蓋穿孔を受けた頭蓋骨が置かれていた。陶器はモニュメントのファサード正面からも見つかっており、閉鎖後に陶器の寄託を伴うカルト活動が行われていたことを示唆している。およそ1000年後、上から通路に到達した異文化の人々によって埋葬のためにモニュメントは再使用された。
古墳B
古墳Bは長い塚で、36mの長さがあり幅は8m。部屋は4つある。このうち2つは非常に小さいシストで、入口通路はない。塚の西側部分には2つの長方形の部屋があり、それぞれ南の通路を経由してアクセスできます。
部屋B1
部屋B1は小さな正方形の構造で、一枚岩の平板で建てられた。このような建造物はdolmen angoumoisinとして知られている。長さ2.2mの通路は4つの平板壁で単純に作られた2×1.5mの部屋へと繋がっている。これら壁の一つには側面を刻んで作られたフックがある。5枚目の平板が部屋を覆っている。わずかしか考古学資料が内部から発見されておらず、おそらく紀元前3千年紀に片付けられて再使用されたためである。
部屋B2
この場所の発掘は遺体の独特な取り扱いを明らかにしました。約10個の頭蓋の頂天が上下逆さまで2列に置かれていたものが発見された。これらはいくつかの長骨と関連していた。
シスト
塚の東側にあるシストは1978年に発見された。塚の中央に配置され、小さな石で作られていた。両方ともに空っぽであったが、これらはおそらく隣で発見された大量の後期新石器時代の陶器の破片と関連している。
古墳C
この直径57mで高さ5mある円形の東の塚は複合建造物である。いくつかの段階を経て最終形に至った。この塚は初期の2つのモニュメントを覆っている:
- 長方形のプラットフォーム
- より小さな円形の塚
初期の塚
初期の塚は直径24mで高さが4m。内部に中心から外れた部屋(2×1.45m)があり、西の通路から入ることができる。6つの平板が床を形作っている。中には4体の骸骨(老婆を含む)と、陶器やフリント石器があった。
演壇
初期の塚の東側に付随するのは、20m×40mの大きな演壇である。三方向の高い外壁正面のそれぞれで、大人と子供の2人の埋葬が見つかった。
構造物D
長さ35m、高さ2mのドライストーン壁はブゴン・コンプレックスを2つのゾーンに仕切り、残りの遺跡である古墳EとFを分けている。木の破片などのいくつかの発見は、これが新石器時代のものであることを示しており、フランスの巨石モニュメントの中で他に類を見ない。
古墳E
この長さ22mで幅10mの二段になっている塚には、東側の中央近くにある通路から入ることのできる2つの部屋がある。元々、この部屋は別個の円形塚に入っていた。
部屋E1
南側の部屋は直径が3mあり、円形で、トロスのような建造物である。 その基礎部分は溝に設置された11のブロックで作られた。この建物はバゾージュ=アン=パルにある古墳の部屋を思い起こさせる。発掘調査は5または6の骸骨とともに陶器、紀元前4,000年と紀元前3,000年の間のものとされる骨器や石器を明らかにし、中央フランスで最古のドルメン建造物の一つとしている。
部屋E2
古墳Eの北側にある部屋E2は、後陣のような一つの側面をもつ正方形に近い形状である。これは建設のずっと後の紀元前2500年頃に作り変えられたと示唆されている。部屋から見つかった資料には矢尻、ナイフ、スクレイパーなどがある。粗末な丸底の陶器もまた存在していた。
古墳F
この長さ72mで幅12~16mの細長い台形の塚は、ブゴン・コンプレックスで最大のモニュメントである。その西端は先史時代から満たされているくぼみに隣接している。くぼみは塚(元は高さ3m)の建造に関する資料の源であった。塚には2つの部屋(F0とF2)が、両端にそれぞれ一つずつある。これらの間には部屋のない7つの構造物(F1)がある。
F0
このモニュメントは紀元前5千年紀前半に建てられ、紀元前3千年紀に再使用された。これはフランス大西洋側で最古の記念碑的建造物の例である。1977年の発掘調査は、直径2.5mの円形建造物を含む急勾配の半球状の塚を明らかにした。これは3重になった同心円のドライストーン壁の中にあり、持ち送り式天井で覆われていた。この建造物はブルターニュ地方のカルナックに近い Er-Manéコンプレックスと似ている。紀元前4700年頃の墓には、はっきりとわからない10人の遺体があり、その半分は子供であった。赤粘土層が自然な地面の上に置かれていた。主に2つの壺、6つの骨ノミやフリント石器など、いくつかの遺物があった。これらは壁から突き出た高さ30cmほどの2つの石の上にある人骨近くに置かれていた。その後の使用もこの建造物に関係していた。
F1
F1として知られる区域には墓室がない。モニュメントを安定させるため、いくつかが長方形をしている一連の建造物で構成されている。これらを隔てる壁は、墓が建てられた地面の上まで達する。この塚の地中には男性、女性、子供の遺体が入っていた。
F2
紀元前4千年紀のものとされるこの部屋は、モニュメントFの北端にある。ここも紀元前3千年紀に再使用された。およそ5m×2mで32トンの厚板で覆われたこの部屋は、4km離れたエクソダン近郊で採掘される種類の石で作られている。部屋からは陶器の破片や珍しい宝石類(ビーズ)、そして不倫と石器などのわずかな発見があった。
概要
ブゴンにおける建築の1000年間にわたる発展は三段階に分けられる:
- 持ち送り式天井の部屋を持つ円形または楕円形の塚
- 長方形の巨石で作られた小さな部屋を持つ細長い塚
- 長方形の巨石で作られた大きな部屋
ブゴン博物館
1993年に開館したブゴン博物館は、古代の農家を具体化した現代の建物。展示は一般的に先史時代、中でも特に新石器時代にフォーカスしています。遺跡から発掘された資料だけでなく、トルコのチャタル・ヒュユクの新石器時代住居の部屋や、ブルターニュ地方のガヴリニ墓所の通路アートのレプリカも展示されている。博物館には屋外エリアもあり、先史時代の輸送方法に関しての再構築や巨石モニュメントの建設など実験考古学の展示も行なっている。
原文:Tumulus of Bougon - Wikipedia