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死にゆく古代言語の起源

22.-Rongorongo

言語は文化を理解する鍵になる言われています。媒体であり、これによって人々の芸術やアイディアが世代を超えて受け継がれてきました。多くの言語は現代世界で死につつありますが、言語学者らはその中に埋もれた文化的宝石を発掘して保存しようと努力しています。
これら言語にはその希少性から特に貴重だと証明されるものもあります。『孤立した言語』とは既知のあらゆる言語との繋がりも持たない言語のことです。韓国語のように、いくつかは広い地域の人々が話しています。ヒマラヤのクスンダ語のように、いくつかは現在7~8人しか話していません。インダス文字のように、いくつかは何千年も使われていません。
これら言語はひとりでに発生したのでしょうか?これらは歴史の年代記から長く失われた遠い祖先の口から出たものなのでしょうか?

人工知能が4000年前の文字に光を当てる

インダス文字の例

解明されていないインダス文字は言語学者や考古学者を長らく魅了し、またイライラもさせてきました。シンボルを解読することは、現在のパキスタン東部とインド北西部にあたるインダス盆地に4000年前に存在した発展した文明の言語を明らかにすることになるでしょう。この文明は当時のエジプト文明やメソポタミア文明くらい高度で、人類学的な宝物と同様の富を約束します。
一部ではこれが少しも言語でなく、この『文字』は例えるなら現代の交通標識に見られるような、単なる記号の集まりだと主張する人もいます。他の人々はこれがサンスクリット語の古代の形であるか、現在南インドで話される言語と関連するドラヴィダ語族に似たルーツを持っていると言います。
エジプトのヒエログリフは、文字の比較ポイントを提供した3言語の碑文を持つロゼッタストーンの助けによって解読されました。インダス文字ではそのような助けは未だ発見されていません。
ワシントン大学のコンピュータ科学者ラジェシュ・ラオは、人間の分析が及ばないところにコンピュータ・アルゴリズムを使いました。パターンを分析するため、コンピュータ・プログラムを通していくつかの言語を実行した後、彼は何らかの似たパターンを検出するためにインダス文字の文章を実行しました。
コンピュータはこの言語を翻訳できませんでしたが、正しい方向のステップをもたらしました。パターンを見分けることで、音声言語の潜在的な部分を識別できるようになりました。例えば英語では一定の頻度とパターンで、『and』という単語が文中に現れます。他の文脈でも、地名のような特定の単語は一定の間隔で繰り返される可能性があります。
『けれども私たちには読むことができず、パターンに注目して根本的な文法構造を得ることしかできません』と、ラオ氏はワイヤード誌に語りました。

イースター島のロンゴロンゴ文字

ロンゴロンゴの板

イースター島で発見された木の板に書かれた文字が言語学者を悩ませています。イースター島の住人が1770年にヨーロッパ人との最初の遭遇後にこの記述形式を開発したのだろうと思われます。彼らは記述のアイディアをスペイン人から得ていたにもかかわらず、その形式はどんな既知の言語とも類似していませんでした。
ラパ・ヌイと呼ばれるイースター島の先住民族は、スペイン人に併合の書類にサインするよう求められました。数年の岩刻文字の課程を学んだ言語学者のDr.スティーブン・ロジャー・フィッチャーは論文『Rongorongo: The Easter Island Scripts』にて、ラパ・ヌイはこれより前に書くことができるとは思えないと言いました。スペイン書類の署名は、既存の先住民の文字というよりもヨーロッパ人書写の模倣に見えます。

イースター島

1864年、イースター島初のラパ・ヌイでない住民ジョセフ-ユージーン・エイロー(1820~1868年)は、ロンゴロンゴ文字を最初に観察しました。それは島にある全ての家の木の板に書かれ、それぞれが一見神聖な意義があるようだと彼は言いました。数年後、ほぼ全ての板がなくなっていたと彼は言います。フィッチャー氏は、これは天然痘や奴隷獲得のための襲撃による人口の間引きによるものだろうと説明しました。
その言語は表意文字(概念を表す記号)と表音文字を混ぜたと考えられます。フィッチャーは、いくつかは懐疑的ですが、板は創世聖歌を含むと示唆しました。
フィッチャーはロゼッタストーンの一種として、ロンゴロンゴ文字が書かれた珍しい棒を使いました。その棒には区分ごとに垂直な線が引かれ、ロンゴロンゴの文書の記号だけが刻まれていました。彼はパターンを、特に各セクションの始めに男根の記号が含まれていることを観察できるようになりました。彼はこれを『性交する』を意味するとみなし、棒の文を『全ての鳥は魚と性交した:そこから太陽が出てきた。』と翻訳しました。これは1886年にイースター島で記録された生殖聖歌『大地は魚である麻痺者ルヒと性交した:そこから太陽が出てきた。』と似ていると彼は言いました。
彼の著書『Glyph-Breaker』にて、フィッチャーは発見について書いています:『イースター島のロンゴロンゴはついに再び話される…128年の沈黙の後に。』

オウムだけが話す失われた言語
19世紀の探検家アレクサンダー・フォン・フンボルトはベネズエラにて、以前のオーナーの言葉を真似するオウムを発見したと言われています。これは失われた言語の最後の痕跡です。オウムは敵対するアトゥレス族を完全に支配した部族に所有されていました。アトゥレス族の全てのメンバーが亡くなると、征服者はペットのオウムを含む多くの戦利品を取りました。作家でジャーナリストのマーク・フォーサイスの著書『The Etymologicon』によるとアトゥレス族の最後の痕跡である、オウムによって話された単語をフンボルトは記録しました。現代の芸術家はフンボルトが記録した単語を話させるためオウムを訓練しており、オウムが言語を保存するという奇妙な役割は永続しています。

クスンダ語:サブ・ヒマラヤ地域の孤立した言語
ネパールにあるトリブバン大学の言語学者デビッド・E・ワッターズは2005年に、孤立した言語であるクスンダ語を話す人は7人か8人しか残らないと推定しました。この言語の歴史はおそらくチベット・ビルマ語派やインド・アーリア語派の人々のサブ・ヒマラヤ地域への到来に先行する、と彼は論文『Notes on Kusunda Grammar』に書きました。
2004年に3人の話者が発見されるまで、最後の話者は1985年に亡くなったと考えられていました。
ワッターズは死にゆく言語の全てを記録するためにこの話者たちと共に働きました。彼はクスンダ語と周辺のあらゆる他言語と異なるいくつかの興味深い点を書き留めました。
例えば、どのように聞こえるかという音韻体系において大きく異なっています。クスンダ族のような狩猟採集文化に囲まれている部族は、『解剖学的な特徴を作ることが知られている』とワッターズは語る。一方クスンダ族はこのような特徴が奇妙に欠如しています。単語『gobloq』は『心臓』と『肺』の両方を意味しており、単語『tu』は『蛇』と『虫』の両方を意味しています。
人口減少や狩猟のための森林地の減少によって、クスンダ族はネパール人や他の部族の人との結婚を余儀なくされていました。言語の独特な性質を与えた、とワッターズは言います。『クスンダ語が現在まで存続していることは言語学的奇跡です。』

原文:The Ancient Origins of Some Dead or Dying Languages(Ancient Origins)

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