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失われた古代マヤ文化の謎

マヤ文明の崩壊は解明されていない古代世界最大の謎の一つだと考えられています。研究者による数多くの説明から、彼らの没落を一つだけ推測することができます。研究者らの証拠の違いは、マヤ人とその生き方が、現代の私たちの考え方にとって実質的に完全な謎であることを暗示しています。この高度な社会は、没落の証拠品を何も残さずどのように消滅したのでしょうか? これは大異変による突然の崩壊の兆候なのか、もしくは誰かが信じているような、政変の結果による放棄なのでしょうか?

具体的な証拠がないことで彼らの衰退には多くの可能性があり、彼らの信念体系にも同じことが言えます。主な手がかりは壁画や陶器、そして解読された象形文字で書かれた非常に数少ない文章から得られます。研究者にとって、情報の取りこぼしや解釈の誤りなしでこの古代文化を繋ぎ合わせることは非常に難しいことです。最近の発見は、ただ彼らがどんな生活をし、文明喪失に何が起きたかを説明する証拠として使われています。その統治の間、この驚くべき文明は当時の他文化と比較してはるかに進んでいたのは間違いありません。しかしこの非凡な人々とその信念を取り囲む、未だ解決されていない多くの謎があります。

手がかりや証拠は、マヤ人が数学と天文学の優れた知識を持っていたという意見を支持しています。熱心な夜空の観測と彼らのカレンダーやモニュメントとの関係は、彼らの生き方において重要な意味を持っていたに違いありません。時間と労力をかけて、彼らの持つ知識レベルを進歩させました。この知識は彼らにとって重要な意味を持っていたに違いないと考えられます。この知識には観察に数十年かかるものや、歳差運動のような完了するのに数千年かかる天文サイクルを計算するための非常に洗練された数学の使用などがあります。この知識の蓄積は、文化全体に何かが起こったのでなければ、誰にも受け継がれることなく成果とともにどうやって完全に消えたのでしょうか?

マヤ人が残した数学と天文学の知識を示す証拠は素晴らしいものですが、なぜ彼らは生贄の儀式や殺人を行なったのでしょうか? 多くの人が考えるように、人口調整や冥界の神々を喜ばせるためだったのでしょうか? これらの儀式は1949年の発掘調査でボナンパクの壁画が発見されるまでは全くの謎でした。それまでマヤ人は平和で暴力のない文化だと考えられていました。最も一般的な考えは、アステカのような他文化と同じパターンとして、マヤ人は神々を喜ばせるために儀式を行なっていたというものです。

ボナンパクの壁画 (ルーム2の北壁) 画像引用元

これは神々や祖先と繋がるために、王室の人々が殺人や自己犠牲を行なったと古代の壁の描写から考えられています。この高度な社会にはこの種の風習を行なうためのもっともらしい理由があったと思われます。研究者は、壁には人身御供の犠牲者として戦争捕虜も描かれていると考えています。研究者はこれらの異なる儀式がマヤカレンダーの特定の日付か天文イベントの間に催されていたと決めていますが、なぜ彼らが行なった種類の儀式にこれらの日付が重要になったのでしょうか?

マヤの統治者への捕虜の披露。西暦785年、メキシコ。テキサス州フォートワース、キンベル美術館所蔵。 (Wikipedia)

娯楽だと考えられているものに、ポク・タ・ポク(poc-ta-poc)と呼ばれるマヤ人が遊んでいた球技があります。ゴムボールを使う遊びで、お尻で打って跳ね上げて、通常は壁の高いところに取り付けてある石の輪に通すというものです。これらの球技場の存在がこれまで550以上も見つかっていることから、この証拠は彼らの日常生活におけるゲームの重要性を決定するでしょう。ゲームはマヤ人の最も神聖な習慣であり、勝者は栄誉とともに生贄にされると多くの人に考えられています。今後の競争に残さず全てのベストプレーヤーが殺されるという考えるその他の人々は、この憶測を信じがたいものだとします。この理由から、彼らは敗者が生贄にされたと考えています。もしこれがゲームに勝った栄誉でのみ生贄にするならば、それが確かな理由であって、より激しい競争をする将来のチームメンバーを勇気づけると考えなければなりません。仮にこの球技が娯楽目的ではなく、誰が冥界に入るかを決定するために使われたのだとしたらどうなるでしょう? これは王位と栄誉とともに来世に入るという彼らの信念の一部なのでしょうか? 壁に描かれた頭飾りと王家の宝石を身に付けたプレイヤーの描写は、彼らが両チームとも高位であると示さなければなりません。たとえ敗者が生贄にされるとしても、なぜ彼らは神々を喜ばせたり娯楽のために自分たちの命を賭けるのでしょうか? これは古代ローマの剣闘士がしたように、それほど重要ではない人物を生贄にすることで自らの立場を保持したかったのだと考えられます。

壁に取り付けられた石の輪はポク・タ・ポクと呼ばれる古代マヤ人の球技に使われた。これは彼らの日常生活で重要な部分である。 (Wikipedia)

研究者は、この球技が双子の英雄として知られる双子兄弟の物語と関係していると推測しています。彼らは冥界の神の生贄になった後に復活しました。仮にこの復活が、そのプレーヤーが彼らの階級や高い技術レベル神々に考慮されてることで、さらに高度な社会に実際に転生することであればどうでしょう?

古代世界の大部分のように、マヤ人はそれまで遺跡にそびえる彼らの神殿やモニュメントを建設しました。彼らは長期暦と一致する52年ごとに再建していたと考えられています。しかし他の人々はこれらのプロジェクトが新しい統治者によって政治的理由で始められたと推測しています。これはエジプトを統治した新しいファラオに関連するとエジプト学者が考える同じアイディアに続きます。当時の人々はハトシェプスト女王の件のように、悔し紛れか以前の記録を隠そうとしたか、以前の統治者のあらゆる証拠を破壊したと考えられます。このアイディアはマヤ王国に対しては間違っているでしょうか?

多くのピラミッドや神殿は、現在見られるものの下にやや古い遺跡があるという兆候を示しています。もし重要な目的がないのならば、なぜ彼らは同じ正確な場所に意図的に建設したのでしょうか? 資源とエネルギーを投入するには、それまでの建造物に追加した方がそれらの上に立てるよりも有益だと考えられます。これら神殿やピラミッドと天体や天文イベントの精度や一直線にすることに多くの時間と労力が投入されました。多くの人が考えるように、これらの遺跡は地球のエナジーグリッドと関係しているのでしょうか? もしくは、マヤカレンダーにおける特定の期間の特定の星系のキーとなる場所に存在しているのでしょうか? もしかこれらモニュメントの再建は、遺跡と特定の星系との直列を正確に調整するという距離測定を目的としていたのではないでしょうか。もし本当にマヤカレンダーの特定の日付が生贄の儀式のためであるならば、ピラミッドや生贄の祭壇が特定の星系と直列した時に、これら重要な出来事が行われていたのでしょうか?

原文:Ancient Origins

ポク・タ・ポク(poc ta poc)参考動画

ボールを腰で打ち上げていき壁にある輪を通す球技。サッカーやバスケットボールなどに慣れている私たちにとって、手足を使わないでプレイする球技は不思議に感じます。しかし実際に映像で見ると、腰で打つことがプレーヤーの力強さを際立たせているように感じます。

現代では多くの人を楽しませるエンターテイメントとしても人気があるようです。古代文化がこのような受け入れやすい形で現代に残っていることは非常に興味深いことです。

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