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バルネネのケルン(Cairn de Barnenez)

48°40′03″N 03°51′31″W

バルネネ・ケルンの正面。 ( CC BY-SA 3.0 )

バルネネのケルン(バルネネ古墳、バルネネ・マウンドとも。ブルトン語:Karn Barnenez、仏語:Cairn de Barnenez、Tumulus de Barnenez)は、フランスのブルターニュ地方、フィニステール県北部、Kernéléhen半島のプルゾッコに位置する新石器時代のモニュメント。年代は新石器時代初期、紀元前4800年頃とされる。グレートウエストフランスに位置するブゴンの古墳とロクマリアケール巨石群とともにヨーロッパ最初の巨石記念物であり、同様に世界最古の建造物だと考えられている。巨石芸術の存在としても注目すべきものである。


歴史

部屋の一つは、20世紀の採石によって露出した。(CC BY-SA 3.0)

年代
放射性炭素年代測定ではモニュメント第一段階が紀元前4850年から紀元前4250年の間に建てられ、第二段階は紀元前4450年から紀元前4000年の間に建てられたことを示している。

二次使用
モニュメントの内部および周辺からの陶器の発見は、紀元前3千年紀の青銅器時代に再使用の期間を経たことを示している。

古代モニュメントとしての認知
ケルンが最初に地図に記載されたのは1807年、ナポレオンの土地台帳の文脈においてです。その最初の科学的認知は1850年のモルレーでの学術会議の文脈においてで、この時は古墳として分類されていた。

採石場ダメージ
1950年代まで個人的に所有され、ケルンは舗装用材料の採石場として使われた。モニュメントを破壊しそうになったこの活動は1950年代にいくつかの部屋の発見の後に停止された。地域コミュニティがその後遺跡を管理している。

復元と発掘
ケルンは1954年から1968年の間に復元された。同時に、塚から植物が取り除かれ計画的発掘がモニュメント内部と周辺で行われた。


モニュメント

バルネネのケルン。(CC BY-SA 3.0)


現在、バルネネのケルンは長さ72mで幅は25mに及び、高さは8m以上。13,000~14,000トンの石で建てられた。別々の通路から入る11の部屋がある。塚は急勾配の外観で階段状の形状をしている。いくつかの内壁は初期の外観か、もしくは建造物の安定性を支えている。ケルンは比較的小さな石のブロックからなり、特徴として部屋だけが巨石でできている。モニュメントは、建造当時は肥沃な海岸平野だったであろうモルレー湾を見下ろしている。

建設段階
このモニュメントは少なくとも2段階の建設の結果である。

簡略化した図。ケルン1は黄色、ケルン2は緑色。 (CC BY-SA 3.0 )

ケルン1、紀元前4500年以前
第一段階では、32m×9m~13mのやや台形の塚が作られた。これには5つの部屋があり、2重の縁石で囲まれていた。第一段階では粗粒玄武岩がよく使われている。

ケルン2、およそ紀元前4200年~紀元前3900年
第二段階では、西側に6つのさらなる部屋の拡張がなされた。同時にケルン1はより幅が広く高さのある建造物に覆われ、通路は延長された。さらなる花崗岩がこの段階で使われた。

部屋
バルネネ・ケルンの11部屋は、フランス語の考古学用語でDolmen à couloir(ドルメン・ア・クルアー)として知られる種類のもの。この用語をざっと翻訳すると『羨道墳(せんどうふん)』、英語では『passage grave』となる。これらは大きな粘板岩の平板と花崗岩で建てられている。元々、すべての部屋は完全に塚に埋もれていた。部屋のいくつかが現在部分的に露出しているのは現代の採石によるものです。
11部屋のそれぞれは南東から長く狭い通路(長さ7~12m)を通って到達する。これらは互いに平行に配置されている。形状や建築技術は若干異なっている。
9つの部屋で、狭い通路は持ち送り構造の部屋に繋がっている。通常、持ち送り天井は立石の上に横たわっているが、1つの部屋では実際に地面に位置し、本当のトロス(ドーム状建造物)を形作っている。通路は厚板造りまたは厚板で覆われたドライストーンの壁でできている。部屋の一つはドライストーンでドーム型になった控えの間となっている。

通路の1つ。 (CC BY-SA 3.0 )

輸送
バルネネのケルンの1立方メートルには1,500kgの石が含まれている。このような量の採石・成形、輸送そして建造は、(1日10時間作業とすると)作業員1人あたり4作業日だと示している。最初のモニュメントであるケルン1は約2,000立方メートルの体積がある。これは1,000トンの花崗岩と3,000トンの粗粒玄武岩で建てられた。したがってこれは15,000から20,000作業日を必要とする。言い換えると、ケルン1のみを建てるのに200人の作業員が3ヶ月かかっただろう。最終形では、バルネネの塚は第一段階の3倍近くになる。

バルネネの『ドルメン・ゴッデス』の複製。(CC BY-SA 3.0)

刻まれたシンボル
刻まれたシンボルが部屋や通路のいくつかで見られます。それは弓や斧、波形または蛇を描き、U形を繰り返します。二次使用された刻まれた厚板の一つは元々異なる建造物の一部で、 ガヴリニのような他のいくつかのモニュメントの状態との興味深い一致がある。刻まれたブロックのシンボルはブルターニュ地方にある他の巨石モニュメントと似ている。一般的な用語でこれらは巨石芸術(megalithic art)といわれる文化現象に属している。繰り返されるシンボルの一つは擬人化された描写だと解釈される。(いわゆる『ドルメン・ゴッデス』)

内部で見つかった壁に彫られた記号の一例。 ( Public Domain )

発見

本来使用されていた期間の材料
ケルン2の部屋A、C、Dのみ、発掘時に新石器時代の掘り出し物があった。これらは陶器、磨かれた粗粒玄武岩の石斧、フリントの刃、矢尻などであった。

青銅器時代の陶器
モニュメントの外で見つかった陶器の破片は、この建造物が青銅器時代(紀元前3千年紀)に再使用されていたことを示している。銅のダガーや返しのある矢尻は金石併用時代のもの。


匹敵するモニュメント
似ているおそらく同時代のモニュメントはフランスとジャージーにおいて別の22もの場所が知られている。ブルトン人の例はラルキュスト・コルポ、ル・ボノ、プティ・モン、Ty-Floc´h、ガヴリニ、カルヌ島、プルーダルメゾー、ランデダ沖合のゲニオック島(I´ile Gaignoc、Guénioc)である。これら島に位置するモニュメントは一般的によく保存されている。ゲニオックの部屋3 Bは入口の近くに小さな立石がある。

展示
現代のエントランスビルの展示は、科学的調査の結果を説明し、遺跡から見つかったいくつかの品物を陳列している。

原文:Barnenez - Wikipedia

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