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プティ・モン(Petit Mont)

47° 32′ 12.01″ N, 2° 54′ 7.99″ W

プティ・モンはフランス・ブルターニュ地方、リュイ半島の南の海岸にある岬のコミューン、アルゾンにあります。新石器時代から人が住む巨石遺跡です。

プティ・モンのドルメンは1904年8月5日以来、歴史的建造物として分類されています。

地理
プティ・モンはリュイ半島(コミューン・アルゾン)の南海岸に位置する岬です。モルビアン湾の入口にあり、イル=ドゥア島を正面にしています。頂上からの眺めはキブロン湾のほぼ全体を見渡すことができ、おそらくこの絶好のロケーションが第二次世界大戦中における監視掩蔽壕建設の理由となりました。

歴史
プティ・モンのケルンはいくつかの段階を経て建てられました。その建設は紀元前4600年頃に低い土塁から始まりました。最初のケルンは紀元前4500年頃に建てられましたが、部屋やドルメンはなく、台形で長さ30mで幅20mでした。紀元前4000年~紀元前3500年に遡る最初の拡張で、羨道墓とシンプルな部屋が追加されました。部屋にある8つの柱のうち6つと通路の3つの柱は装飾されています。地面と天井の石像は擬人像を表しています。紀元前2700年~紀元前2500年頃に最初とされるドルメンが建設されたケルンは拡張され、2つの新しいドルメンとシンプルな部屋が作られました。現存する部屋は最初の部屋よりも豊かな装飾があり、12のタイルは様々なモチーフで飾られています。


ブロックハウスと現在の出入口

1943年にブロックハウスがケルンに建てられ、この部屋によって2つのドルメンは破壊されました。この建設は強く非難されていましたが最初の部屋を再発見できました。

現在のケルンは東西に50m、南北に53mあり、石の体積は10,000m3あります。

伝説
ガリア戦記の第3巻で、ユリウス・カエサルウェネティ族との海戦を記録しています。もしウェネティ族の港がロクマリアケールにあってキブロン湾で戦いが行われたという仮説を受け入れるなら、プティ・モンかもしくはおそらくサン=ジルダ=ド=リュイスにあるグラン・モンに目撃者がいたはずです。アルゾンにあるカエサルの丘では可能性が低いです。

参考:
Petit Mont (Arzon) — Wikipédia
Cairn de Petit Mont

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