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タ-シルク(Tas-Silġ)

35° 50′ 45.3″ N, 14° 33′ 7.5″ E

タ-シルクはマルタのマルサシュロック湾を見下ろす丸い丘の頂上で、Żejtunの町に近くにある。タ-シルクは新石器時代から西暦4世紀まで全ての時代をカバーする多期間にわたる神聖な場所で、これにより考古学者にいくつかの異なる発掘の層を示している。 この場所は近くにある雪の聖母教会(マルタ語:Knisja tal-Madonna tas-Silġ)からその名前を付けられている。(※Tas-Silġは「雪、氷」を意味する。)

タ-シルクの廃墟 (CC BY-SA 3.0)

巨石神殿と青銅器時代の集落
この地域はマルタ先史時代のタルシーン期(紀元前3000年~紀元前2500年頃)に神殿が建てられた際に初めて居住された。元々の神殿からわずかな遺物を見ることができるが、丘全体に散らばった巨石は少なくとも3つの神殿とおそらくそれを囲んでいた村からなる大きな複合体があったことを示唆している。4つの後陣を持つ神殿の一部だった大きなD字型のブロックは、後にこの遺跡の他の建物に組み込むためにまだ存在している。青銅器時代には、ボージ・イン=ナドゥールのような他の遺跡でされていたように、神殿はおそらく集落に転換された。

堆積物の最深層において、考古学者は土器や石片、そして立ったファット・レディ像など様々な工芸品を見つけた。青銅器時代の層からは、破片や石器、そして土器が見つかった。青銅器時代のその他の証拠は大量の手工芸品から構成される。

近くにある雪の聖母教会。タ-シルクはここから名付けられた。 (CC BY-SA 3.0)

カルタゴ、ヘレニズム、ローマの神殿
フェニキア人が紀元前700年頃にマルタを占領した後、彼らは以前の直立した遺構を取り入れてアスタルトへのカルタゴ式神殿を建てた。前方の拡張が曲線のファサードに追加され、2つの付柱のある巨大な石板が上に乗った記念碑的な出入口が造られた。最終的に聖域の重要性が高まり、紀元前300年にポルチコが追加された。神殿の一部には塔があり、危険性のある侵略者からの防衛を助ける要塞として設計されていた可能性がある。

敷居の石板は、神殿の東側部分と西側を分ける3つの献酒穴を開けており、同様にプラットフォームのために主聖域の南に建てられた一連の切石積みの基礎壁がいまだ存在している。この地域周辺は土器、灰、動物の骨、硬貨、破片などの様々な遺物が見つかっている。これら破片のいくつかには奉納碑文がある。メルカルトのシッピは元々タ-シルクにあったかもしれないと主張されているが、それらの起源は議論されている。

ローマ時代に、カルタゴ式神殿はローマの神でアスタルトと同一のユーノーの聖域に転換された。紀元前70年、キケロは著書In Verremで神殿について言及した。そこで彼は神殿が海賊やヌミディアの王子を含む全ての人に崇敬されたが、シチリアのローマ総督はその財宝のいくつかを盗んでいたと語っている。いくつかのローマの資料が、タ-シルクの下テラスにある井戸の周辺の様々な堆積層で発見された。

近年、大きな貯水池がタ-シルクの下に見つかりマッピングされた。これらはおそらくカルタゴまたはローマ時代のものである。

タ-シルク (CC BY-SA 3.0)

ビザンティン式修道院
その後西暦4世紀または5世紀に、以前の神殿遺構の上にビザンティン式修道院が建てられた。この教会には通路から2列の円柱で分けられた中央身廊があり、元々巨石神殿だった場所に洗礼盤が造られた。すり減った大理石の女性の頭や吊られたパルメットが付いた象牙の柱頭を含むいくつかの彫像が見つかった。アンフォラや平皿、その他のアイテムなど、この時代の土器もまた発見されている。

ビザンティン時代の間、ファット・レディ像はわざと傷付けられくぼみに埋められた可能性がある。

8世紀には、タ-シルクの修道院の周囲に防壁が急いで建てられた。

この修道院は西暦870年にマルタがアラブ人に占領された直後に放棄された。この場所は採石場に変えられ、元々の建造物の石は取り除かれた。中世には農場がこの地域に建てられ、この時代の粗石壁はいまでも残っている。この遺跡全体は発掘されるまで地面の1メートル下に埋もれていた。

タ-シルク訪問には事前予約が必要。 (CC BY-SA 3.0)

近代史
17世紀には作家が古代文書で言及されたユーノーの神殿の位置を推測するようになったが、この遺跡が発見されたのは20世紀であった。1925年の古代遺物リストに含まれた。

フェニキア時代に建てられたタ-シルクの神殿から見つかった円柱の残骸は、マルサシュロックにある17世紀のPalazzo Marnisiにて見ることができる。

1963年と1972年にイタリアのミッションが最初の発掘調査を指揮して聖域を特定した。1996年から2005年までマルタ大学とイタリア人のチームは、他の堆積層を取り除く別の発掘プロジェクトを始めた。遺跡は更なる侵食から保護するためにカバーで守られている。

Heritage Maltaがタ-シルクの管理をしており、残念ながらこれまで一般公開はされていないが、予約することで見学できる。それにもかかわらず、遺跡管理の努力により、2013年現在、いつか一般公開される予定である。

参考:Tas-Silġ - Wikipedia

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