27° 46′ 53″ N, 30° 48′ 14″ E
ヘルモポリス (CC BY-SA 3.0)
ヘルモポリス(またはヘルモポリス・マグナHermopolis Magna、ギリシャ語:Ἑρμοῦ πόλις μεγάληHermou polis megale、エジプト語:ケメヌKhemenu, Ḫmnw)は古代の主要都市で、上下エジプトの境界近くに位置する。古王国時代以来の地方都市であるヘルモポリスは、ローマ属州時代の主要都市に発展し、3世紀から初期キリスト教徒の中心地であった。この地はムスリム侵攻の後に放棄された。
その遺跡は現代のエジプト・ミニヤー県の町エル・アシュムネイン(El Ashmunein)の近くに位置している。
ネクタネボ2世の黒シルト岩オベリスク。縦の碑文によると彼はこのオベリスクを3重に偉大な者、ヘルモポリスの領主であるトート神の聖域出入口に立てた。現在はロンドンの大英博物館に展示されている。 (Public Domain)
語源
この都市の古代エジプト名であるケメルKhemenu(Ḫmnw)は『8の町』を意味し、創造前の世界を表す8柱の神々オグドアドにちなんでいる。この名前はコプト語にShmouneinとして残っており、現在の名前エル・アシュムネインはこれに由来する。ギリシャ語ではこの都市はヘルメス神にちなんでヘルモポリスと呼ばれた。ギリシャ人はヘルメスをトートと同一だとみなし、この都市が魔術、治療、知恵の神で書記官の守護者であるトート神の主要なカルトセンターだったためである。トートは同様にセム語のエシュムン(Eshmun)と関連付けられた。神殿の碑文ではこの神を『エシュムンの領主』と呼んでいる。
エジプト中王国時代の執政官、Djehutynakhtの墓から見つかった品々。 (CC BY 3.0)
歴史
この都市はヘプタノミスのHare nome(上エジプト15番目のノモス、nome)の首都であった。ヘルモポリスは上下エジプトの境界にあり、そして多くの時代の間、テーバイド(Thebaïd)またはナイル上流の国はより近い時代よりもさらに北へ広がっていました。国境の町として、ヘルモポリスはテーベに次ぐ素晴らしい豪華なリゾート地であった。この都市の少し南にはヘルモポリスの城があり、この地点で上流の国からの川船は通行料を払った。ナイル川の向こう岸にあるアンティノポリスに近いベニ・ハッサンの洞窟は、ヘルモポリス住民の共同墓地だった。川が都市とそのネクロポリスとを分けていたが、この地点の西側の丘の幅広いカーブからは、陸路で丘まで輸送するよりも水上を通って死体を運ぶ方がより簡単だった。ヘルモポリスで崇拝された主要な神々はテューポーンとトートであった。テューポーンはカバとして表わされ、その上に蛇と戦う鷹が止まっていた。両者とも魔術と書記の神だったために古代ギリシャ人がヘルメスと関連付けたトート神は、トキとして表わされた。
ヘルモポリスは頻繁な戦争から比較的逃れており、ファラオ時代とローマ時代の両方の衰退で、この戦争はヘプタノミスを荒廃させた。しかし一方で、その構造はムスリムの統治者の下で激しい変化を受け、彼はその石を石灰にするためもしくは建築材料として遠くへ運ぶために燃やしていました。現存する西暦3世紀のオクシリンコス・パピルスは7階ある高層建造物が町にあったことを示している。
この都市は今でもローマ・カトリック教会とコプト正教会の名義教区となっている。
メルエンプタハとセティ2世のアムン神殿。エジプト、エル・アシュムネイン。 (CC BY-SA 3.0)
構造物
トキの頭をした神は、トキとヒヨケザルまたは類人猿という付随する象徴とともに、ヘルモポリスの神殿の偉大なポルチコの彫像の中で最も目立つものである。彼の碑文における称号は『エシュムーン(Eshmoon)の領主』であった。このポルチコはファラオ時代の作品だが、ヘルモポリスでのプトレマイオス朝ファラオたちの建立は大規模かつ壮麗なものであり、ギリシャ人君主たちによって建設されたにも関わらず、本質的にはエジプト人が構想し遂行したものである。神殿の唯一の残りであるこのポルチコは、各列6本ある2列の列柱からなっている。アーキトレーブは5つの石からできている。それぞれの石は、エジプト人建造者によく知られた使用法に従うと、柱の中心から次の柱の中心にわたされている。中央の柱の柱間は他よりも広くなっている。中央にある石は長さ25フィート6インチである。これら列柱は交互に黄色、赤色、青色の縞で塗られた。ヘルモポリスのポルチコには特有の点もあり、または少なくともグルノー(Gournou)の神殿でのみ再度発見された。それぞれの上に大きな塊が水平に置かれる代わりに、これらは不揃いの欠片から構成され、接合線を見つけることが難しいほど非常に巧妙に調整されている。これら列柱の底部は蓮の下葉を表している。その次には樽の止め輪のような多くの繋がった輪がある。そしてそれらの上に、水平な帯でまとめられた葦の束のように柱が現れている。柱頭を含めて、それぞれの円柱は高さ約40フィートある。最大の外周は地面から約5フィートの部分の約28と1/2フィートで.、これは底部と柱頭の両方に向かって厚さが減少するためである。柱間の幅は最大で17フィートあり、他の柱は13フィート離れている。
ヘルモポリス・マグナのローマ大聖堂廃墟。 (CC BY-SA 3.0)
博物館
現在、太陽を崇拝するヒヒとしてのトート神の巨大な彫像2つと、いくつかの石造りの彫られたブロックが立つ小さな野外博物館がある。
トート神の聖獣であるヒヒの巨大な彫像。アメンホテプ3世統治時代。ヘルモポリス。(CC BY-SA 3.0)
参考:Hermopolis - Wikipedia