昨年クロアチアの考古学者は、着用者を呪文や悪い呪いから守るために使われた『目』を持つ1800年前の注目すべき指輪を見つけました。これは『邪眼、イビル・アイ』としてよく言及されます。他人からの羨望や嫌悪の眼差しは、それが向けられた人に怪我や不運、もしくは死をもたらす可能性があるという信念は少なくとも5000年間は存在しており、多くの場合に特定の宝飾品を身に付けるような保護措置を個人にさせていました。
指輪はクロアチアの都市ヴィンコヴツィ東部の地下2mから回収されたおよそ200個の中の1つで、 この地域はローマ時代以前に長く占領されていたことで知られています。発掘された陶器の品々は西暦1世紀から6世紀に遡りますが、この珍しい指輪は西暦3世紀に遡ります。指輪には幸せのシンボルである花を齧るウサギかネズミの輪郭があり、指輪の上端には不幸からの保護を象徴する目があります。
邪眼について書き残された記録は紀元前3000年頃のシュメール人に遡り、彼らは呪いを回避する祈りが刻まれた粘土版を残しました。驚くべきことに、同じような祈りは世界中の多くの文化、特に地中海周辺で今日でも使われています。
しかし、邪眼を追い払うシンボルを描いた1万年前の壁画がスペインの洞窟で見つかったため、『邪眼』は旧石器時代後期に遡ると考えられ、考えられています。
伝統や概念は異なる文化間で大きく変化しますが、邪眼という考えは広範囲に存在しています。それが特に強くあるのが中東、中央アメリカ、東西アフリカ、南アジア、中央アジア、そしてヨーロッパで、中でも強いのが地中海地域です。また北ヨーロッパの特にケルト地域、アメリカ大陸などの地域に広がってもいますが、これはヨーロッパの植民者や中東の移民からもたらされました。
この概念は旧約聖書に何度か現れ、『邪眼の影響は事実である…』として、ムハンマドの声明に基づくイスラム教の教義にも見つかります。[Sahih Muslim, Book 26, Number 5427]
邪眼の呪いを回避する試みは多くの文化に数々のタリスマンをもたらし、これは一般的には青と白の同心円や片側に現れる青または緑の目、そして様々な形式の宝石が描く目からなる円盤や球です。しかしタリスマンや『ラッキー・チャーム』に加えて、多くの文化は邪眼を回避するために保護対策を組み合わせていました。例えばアジアの子供たちは保護のために、時々顔の特に目の近くを黒くしています。一部のアジアやアフリカの人々の間では、魂の損失が口が開いている時に一般的に起こると考えられているため、飲食する時に邪眼が特に恐れられています。これらの文化では、食物の摂取は単独の活動もしくは鍵を閉めて肉親者だけで行なうかのどちらかです。多くの伝統で共通して、保護の他の手段には、特定食品の消費や聖典の着用、特定のハンドジェスチャーの使用、そして儀式的絵画や物品の陳列などがあります。ローマ人も同じく保護のために大きな男根像を首の周りに着用していました。おそらく着用者よりも邪眼の注意を引くために!
医学と客観性は邪眼は殺すことはできないと教えてくれますが、何世紀もの間、死は邪眼によるものだとされました。中世ヨーロッパの魔女たちは多くの場合に彼らが怒りの睨みを亡くなった誰かに向けた証拠だと見なされました(そして火あぶりにされました)。とても恐ろしいのは、被告人の魔女に邪眼とその魅力が法廷に後戻りして持ち込まれる必要があった英国の裁判所システムでした。
原文:Ancient Origins