メキシコにある世界的に有名なマヤ人の遺跡パレンケの考古学者らは、マヤの統治者であるパカル王のために建てられた葬祭記念碑である碑文の神殿の下で驚くべき発見をしました。現れた地下水トンネルはパカル王を来世へと導く象徴的な道として作られていました。
パレンケ遺跡のプロジェクトマネージャーである考古学者Arnoldo González Cruz氏は記者会見にて、発見したものは水が循環する長さ約17mある9つの水路で構成されていると発表しました。水路には泉から水が流れ込んでおり、『複雑な水力工学を明らかにしています』。
González氏は西暦683~702年の間に墓やピラミッドが泉の上に故意に建てられ、しかも埋葬室に水を導きパカル王の魂を来世に導くために作られたと考えている、とAssociated Pressは報じています。証拠は石の耳飾りの装飾にある彫刻からきていて、これは神が『死者を来世に導き、彼らを水に沈めることでその地で受け入れられるだろう』と伝えています。
El Comercioは、地下水路は碑文の神殿における地中探査レーダーの使用によって発見されたと報じています。メキシコ国立人類学歴史研究所(National Institute of Anthropology and History of Mexico)からの考古学プログラムコーディネーターであるPedro Sánchez Nava氏は、研究の1つは更なる調査の価値がある地下構造を明らかにした、と語っています。
『私たちはこのデータを研究することを決定し、これがパカル王の墓室の真下の床岩に直接刻まれた複雑な水力水路であると発見しました。』[via El Comercio].
偉大なマヤ人の都市パレンケはメキシコのジャングル深く隠されていました。その見事な建築や壮大な寺院、壁画や宝物で知られ、何世紀もの間、探検家や墓荒らし、そして考古学者をここに誘っています。碑文の神殿は最も有名なマヤ世界のモニュメントとされ、中央アメリカ最大の階段ピラミッド建築です。神殿は西暦7世紀におけるパレンケの統治者K’inich Janaab’ Pakalのための葬祭モニュメントとして建てられました。この地域での彼の治世はおよそ70年続きました。このモニュメントの建設はパカル王自身によって人生最後の10年間に命令され、彼の息子で後継者のK’inich Kan B’alam IIによって西暦683年のすぐ後に完成されました。
この遺跡は8段ピラミッドの頂上にある合計9段の『神殿』建造物からなっています。ピラミッド頂上の神殿は一連の柱で分けられた2つの通路で構成され、丸屋根に覆われています。神殿とピラミッドの両者には厚い漆喰の層があり、多くのマヤ建造物で一般的な赤で塗られていました。
20世紀におけるパカル王の石棺の発見は世界を驚かせ、それ以来論争に取り囲まれています。墓への秘密の入口はメキシコ人考古学者のAlberto Ruz Lhuillierによって1948年に発見され、パカル王の墓へと続く下り階段から瓦礫を取り除くのにさらに4年かかりました。彼の亡骸は棺に横たわったままで、ヒスイのマスクとビーズのネックレスを着けていました。墓自体は、大きくて精巧に彫刻された石棺や壁を飾る漆喰彫刻で目立っており、これは統治者の神格への移行とマヤ神話からの姿を描いています。
多く議論されている石棺の蓋の象徴は、背景の生命の木と共に冥界から出てきたトウモロコシの神を装ったパカル王を描いたものだと一般的に考えられています。しかし、すべての人がこの解釈に賛同してはいません。もっと新しい仮説は、パカル王が機械や乗り物の一種を操作している様子が描かれているというものです。回転させると、パカル王が複雑な一連の制御装置を操作しているように思えます。
新しく発見された地下水路は引き続き発掘調査され、更なる発見がこの強大な統治者の生と死に光を当てることが期待されています。
関連:Ancient Origins article by Bryan Hill. 原文:Ancient Origins article by April Holloway