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伝説のエメラルド・タブレット

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西洋錬金術の起源はヘレニズム・エジプト、特にアレキサンドリアの街まで遡ることができます。錬金術の神話上で最も重要な人物の一人はヘルメス・トリスメギストス(3重に偉大なヘルメス)です。この人物の名前はエジプト神話の知恵の神トートと、ギリシャ神話でトート神に対応するヘルメスに由来しています。ヘルメス・トリスメギストスによって書かれたと言われるヘルメティカは、一般的に西洋錬金術的の哲学と実践についての基礎であると考えられています。さらに、ヘルメス・トリスメギストスはエメラルドタブレットの作者であるとも考えられています。

エメラルドタブレットは、この宇宙の秘密について書かれたエメラルドか緑色の石でできた石版だと言われています。オリジナルのエメラルドタブレットの出自は明確ではないため伝説に彩られています。最も一般的な伝説ではティアナのヘルメス像の下にある洞窟墓から発見されたと言われており、ヘルメス・トリスメギストス自身がその手に掴んでいたといわれます。別の伝説ではアダムとイブの3番目の息子セトが書いたとされます。その他、エメラルドタブレットはかつて契約の箱に入っていたと考える人もいます。また、一部ではエメラルドタブレットの出自はアトランティス伝説のようなものだとも言われています。

画家によるエメラルドタブレットのイメージ (Wikimedia)

エメラルドタブレットの起源について様々な主張がなされていますが、これらの説を支持する検証可能な証拠はいまだ見つかっていません。エメラルドタブレットについて文書化された最も古い情報源はキタブ・シル・アル=ハリキ(Kitab sirr al-haliqi:創造の秘密と大自然の芸術の書)で、それまでの書物を合わせたものでした。これは8世紀に書かれたアラビア語の書物で、「バリナス(Balinas)」またはティアナの偽アポロニウスに由来します。バリナスは洞窟墓でどのようにエメラルドタブレットを発見したかという物語を私たちにもたらした人物です。このアラビア語の書物に基くと、エメラルドタブレットは多くの人が主張するような古代書物の一部ではなく、6~8世紀の間に書かれたアラビア語の書物でだと考える人もいます。

バリナスは元々エメラルドタブレットはギリシャ語で書かれていたと主張しましたが、もしそれが本当に存在するならば、彼が取りつかれたと噂のオリジナル文書はもはや存在しません。それにもかかわらずこの文書はすぐによく知られるようになり、数世紀の間に様々な人々によって翻訳されました。例えば、エメラルドタブレットの初期版はジャービル・イブン=ハイヤーンに由来するキタブ・ウストゥグス・アル=ウスス・アル=タニ(Kitab Ustuqus al-Uss al-Thani:基盤の元素第二の書)と呼ばれる書物にも登場します。しかし、ヨーロッパ人が利用できるようになるには数世紀ほどかかったでしょう。12世紀、エメラルドタブレットはヒューゴ・フォン・サンタラによってラテン語に翻訳されました。

国際錬金術ギルドによって再構築されたエメラルドタブレット。このようなものだと考えられている。 (Image source)

エメラルドタブレットは西洋錬金術の柱の一つとなりました。中世とルネサンス期において非常に影響力のある文書であり、おそらく現在もそうでしょう。エメラルドタブレットの翻訳に加え、その内容に関する数多くの評論が書かれています。例えば、アイザック・ニュートンによる翻訳が彼の錬金術論文から発見されました。この翻訳は現在ではケンブリッジ大学のキングズカレッジ図書館に保管されています。エメラルドタブレットの特筆すべき研究者には他にロジャー・ベーコンアルベルトゥス・マグヌスジョン・ディーアレイスター・クロウリーなどがいます。

やはり深遠な文章のため、エメラルドタブレットの解釈は簡単な問題ではありません。例えばある解釈では、この文章は錬金術的変換の7つの段階である焼成、溶解、分離、結合、発酵、蒸留、凝固を著していると示唆しています。しかし様々な解釈が得られるにもかかわらず、それらの作者であらゆる真実の知識を持っていると主張する者はいません。そのうえ、読者はこの文章を読み、解釈し、隠された秘密を見つけることが奨励されています。

原文:The Legendary Emerald Tablet(Ancient Origins)

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