魔法のカーペットは東洋の物語で最も顕著に見つかる輸送形態です。これらのカーペットは、所有者をある場所から別の場所へ空中を通って運ぶ、空飛ぶカーペットとして知られています。魔法のカーペットは千夜一夜物語(アラビアンナイト)に見られる物語におそらく最も一般的に関連していますが、歴史の様々な時点における様々な文明の文書で言及されてもいます。
空飛ぶカーペットの歴史
興味深いことに、世論に反して、魔法のカーペットは千夜一夜物語において目立った特徴はありません。例えば、1001話のうち最初の282話を収録した最古の写本であるガラン写本には、魔法のカーペットについて言及されていません。
「アラジンと魔法のランプ」のオリジナルバージョンでは、結婚式の夜に起きたBadroulbadour姫と彼女の花婿の誘拐は魔法のカーペットではなく、彼らの新婚ベッドがランプの精ジーニーによって空中を通って運ばれています。また、魔法のカーペットがこの物語の現代版で初登場したのは、ウォルト・ディズニーによる1992年のアラジンであると主張されてもいます。
それでも、魔法のカーペットの歴史は過去のある時点までさかのぼることができます。イスラエルのソロモン王は魔法のカーペットと関係する最古の歴史上の人物だと思われます。ソロモン王と魔法のカーペットの物語には、少なくとも2つのバージョンがあります。1つは西暦13世紀に、アイザック・ベン・シェリラ(Isaac Ben Sherira)という名のユダヤ人学者によって書かれたと言われるものです。この物語は既に失われた2つの古代作品から編集されたと主張されています。
※注
こちらの海外ブログによると、アイザック・ベン・シェリラという人物はAzhar Abidiという作家・翻訳家の創作のようです。Wikipediaによると魔法のカーペットに関するショートストーリーを書いている人物です。
シェリラの物語
ベン・シェリラの物語では、伝説的なシバの女王には小さな茶色いラグをなんとか地面から上に浮かべられる王室錬金術師がいました。数年後、トリックは紡績工程よりもカーペットの染色にあることを発見して、錬金術師はスキルを完成させました。女王はこの良い知らせを聞くと魔法のカーペットを作り、愛の印としてソロモン王に送りました。このカーペットは金と銀で刺繍され、宝石がちりばめられた緑のシルクで作られたと言われています。また、カーペットはソロモン王の軍隊が上に乗れるほど大きかったと言われています。
カーペットが到着した時、ソロモン王はエルサレム神殿の建設で多忙でした。彼は贈り物を受け取ることができず、代わりに廷臣の一人に与えました。この冷たい受け取りの知らせがシバの女王に届くと彼女はがっかりして、魔法のカーペットでこれ以上何もしないことを決めました。王室の庇護がなく、もはや錬金術師と職人たちは魔法のカーペットを作ることができず、その知識は永遠に失われたと言われています。また、魔法のカーペットの制作に関与した職人がメソポタミアのどこかに落ち着く前に、数年間さまよっていたと主張されています。
ソロモン王の物語の別バージョンでは、王は神から魔法のカーペットを受け取っています。このカーペットはいつでも40,000人を空を飛んで運ぶことができたと言われています。このカーペットを所有している間、ソロモン王の自尊心は毎日大きくなっていったと言われています。最終的に、神はソロモン王を罰することを決め、カーペットが中を飛んでいるときにそれを揺らし、40,000人を落として死なせました。
輸送方法はさておき、魔法のカーペットは戦争に使われた兵器の一種としても描かれてきました。これに関する物語の1つは紀元前2世紀後期と関係があります。フラーテス2世という名のパルティア王がいました。紀元前130年、この王はセレウコス朝の統治者アンティオコス7世との戦争をしたと言われています。この物語で、フラーテスは敵に立ち向かうためにカーペットや布に乗ってザグロス山脈の高さに飛び、炎と稲妻で打ち破りました。フラーテスは帰還すると意気揚々と迎えられ、臣民の頭の上を魔法のカーペットで浮いていたと言われています。別の物語は西暦三世紀のものです。ササン朝の統治者シャプールも魔法のカーペットを持っていたと言われています。カーペットを使って、一夜にしてローマ軍のキャンプに潜入し、眠っていた皇帝ヴァレリアンを拉致しました。
原文:Ancient Origins