死海文書の断片。2010年. Credit: Alex Levac
イスラエル当局の発掘調査によって、死海文書の新たな断片が、イスラエルの死海近くにある頭蓋骨の洞窟(Cave of the Skulls)で見つかりました。破片は小さく、書いてある文章は高度な分析なしに判読するにはあまりにも薄れている。この段階では考古学者には、これらが古代ヘブライ語、アラム語、または他の言語で書かれているのかはわかっていません。
『これら断片からわかる最も重要なことは、もしジュデアン砂漠から盗まれた他の文書と関連付けることができる場合、知られている来歴がないということです』と、洞窟を調査している科学者のエルサレム・ヘブライ大学のユーリ・ダビドビッチ博士(Dr. Uri Davidovich)は言います。
1947年、クムラン近くの洞窟に石を投げたベドウィンの羊飼いは土器の壺が割れる音を聞きました。これは20世紀最大の考古学的発見と呼ばれることになります。内部を這っていくと、彼は最初の死海文書を見つけました。
1960年にヨハナン・アハロニ博士(Prof. Yohanan Aharoni)によって発見された7つの人間の頭蓋骨とその他の遺骨から名付けられた頭蓋骨の洞窟は、大きな洞窟複合体の一部であり、砂漠南部にあるツェリム・ストリーム(Tze’elim Stream)の急峻な崖に自然にできた空間です。この場所はジュデアン砂漠で最も荒涼とした地域の1つです。
この複合体には、極度に乾燥した状態が約1,800年前の長さ30インチある10数個の葦の矢柄と鉄の矢尻を保存した場所である矢の洞窟(Cave of the Arrows)、そしてバル・コクバの乱の頃とされる知られている最古の文書が考古学者によって発掘された巻物の洞窟(Cave of the Scrolls)もあります。
シラミ取りの櫛とパピルス
約2センチ四方の文字が書かれたパピルスの断片2つと、認識できる文字がない断片数個という最新の発見は、2016年の5月から6月に頭蓋骨の洞窟にてイスラエル考古学庁(IAA)とエルサレム・ヘブライ大学の合同調査隊によって行なわれた3週間の発掘調査でなされました。この発掘調査はヘブライ大学のユーリ・ダビドビッチとロイ・ポラット(Roi Porat)によって、IAAからのアミール・ゲイノー(Amir Ganor)とイータン・クライン(Eitan Klein)と一緒になって主導されました。
ジュデアン砂漠にある頭蓋骨の洞窟。盗掘者が現れる前にと考古学者たちは古代遺物を急いで探した。 Credit: Guy Fitoussi, courtesy of the IAA
注目に値するのは、これまで見つかった巻物の多くが完全に明瞭な文章が書かれており、いくつかはより不明瞭でいまだ解読作業が行なわれています。
今まで発見されたものは小さく、多くが現代の洞窟略奪に関係する二次的なゴミ山からのものであるにもかかわらず、発掘調査はジュデアン砂漠の崖の洞窟における人間活動に新しい光を当てました。荒れ果てた状況にもかかわらず、彼らは先史時代に始まりローマ時代を経て数千年の間断続的に居住していました。
有機材料を保存するジュデアン砂漠の乾燥のおかげで、革、ロープ、織物、木製品、骨器などの数百の断片が洞窟内部から発見されました。
明らかに変わっていないものもあれば、有害なものもある。洞窟で見つかったより関連しえる物は、バル・コクバの乱の時代の木でできたシラミ取り櫛の一部でした。
有機材料でできた独特な工芸品とともに、数十個の土器の破片、石の器、フリントのアイテムが洞窟内部で発見されました。同様に、針や化粧道具、同じくサンダル用の頭が中空になった鋲釘などいくつかの金属物も見つかりました。
別の興味深い発見はビーズの束を包む織物であるバンドルで、これは洞窟の西ウィングにある自然の割れ目で見つかりました。このバンドルはまだ公開されていない一方で、その内容を識別するためにX線検査されています。アハロニ氏が以前発見した他のビーズのバンドル2つと合わせて、これはレバント地方で今まで発見された、青銅器時代に先立つ先史時代である金石併用時代で最大のビーズコレクションです。
エルサレムのIAA保存研究所での死海文書の断片。 Credit: October 19, 2010.AP
これは略奪者が特定の工芸品を確実な年代特定ができないほどひどく壊していることを強調しています。
遊牧民の住居?
それでも、小麦や大麦、ナツメヤシ、オリーブやザクロなど食料の数千の遺物は、これらの洞窟がローマ時代と金石併用時代の難民に使われたという、考古学者が長年抱いてきた論点を支えています。これら洞窟はユダヤ人兵士と反逆者によってローマ軍の接近から隠れるため2000年以上前に確かに使われた、と発掘調査のディレクターは言います。
これらの洞窟が金石併用時代初期に使われたということは熟考すべき問題です。遊牧民や商人のある季節の生活スペースから、ジュデアン砂漠の西に位置する居住コミュニティ内の社会的緊張に関係する避難所まで幅広く提案されています。
ダビドビッチ氏は2番目の説明がもっともらしいと考えています。『これらの洞窟はアクセスするのが非常に難しく、長期居住がより便利になるような変更や改良のない自然な形で使われた』と彼は指摘します。『これは羊飼いなどのつかの間の滞在を考える場合には意味をなしませんが、一時的な避難所という役目を果たしたと考えるとより妥当です。』
頭蓋骨の洞窟での新たな発掘調査は、ジュデアン砂漠の洞窟の探索を続けるため、いまだ洞窟に眠っているであろう隠された宝物を少なくとも盗賊が手に入れる前に救出するための、IAAとヘブライ大学の新プロジェクトにおける最初のステップに過ぎません。『私たちにはそこにまだ巻物が隠されていると信じる確かな理由があります』と、ダビドビッチ氏は言います。『ローマ時代や鉄器時代のいくつかの文書が近年骨董品市場に現れています。これらはジュデアン砂漠の洞窟に由来しているに違いありません。』
※このサイトではデジタル化された死海文書を見ることができます。
原文:HAARETZ 参考:Ancient Origins