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ウルケシュ(Urkesh)

37° 3′ 25″ N, 40° 59′ 50″ E

ウルケシュ(ウルキシュ、Urkesh、Urkish、Urkeš)は、現在のシリア北東部のタウルス山脈のふもとにある古代の都市国家遺跡。現代のカーミシュリー、そしてトルコ・マルディン近くにあり、クルド人の多い街アムダ(Amuda、Amûdê)から5kmほどハブール川を遡った場所にあるテル・モザン(Tell Mozan、Girê Mozan)という遺丘がウルケシュの跡地です。

ウルケシュは紀元前4千年紀、およそ紀元前3500~1000年に、メソポタミア地方上流部に住んでいたフルリ人によって建設されたと考えられていますが、その何世紀も前から集落があったとみられています。

何年もの居住生活やゴミなどが蓄積した結果土塁として残っているもので、発掘調査で見つかった王室の生活風景や伝承が刻まれた数百の粘土印章からは、この遺跡の歴史について貴重な情報が得られました。

大陸性の気候のため暑い夏と寒い冬があるが春は湿潤で、年平均降水量は400mmから450mmと穀物の栽培が可能な範囲であり、オオムギ、エンメル麦、裸麦など多くの穀物、ヒヨコマメやソラマメなど豆類、イチジクなどの果物などが食べられていたと考えられています。

ウルケシュはハブール川上流域の交易を支配下に置き、現在のトルコにあたる北のアナトリアの高地から採れる豊富な銅を、西の地中海方面や東のザグロス山脈・ペルシャ方面に運んで利益を得て繁栄していました。

  • 2010年に発掘されたウルケシュの大王宮

テル・モザンでの発掘調査は1980年代に始まりましたが、1995年に考古学者がウルケシュの発見を発表するまでに約10年かかりました。現在では、宮殿や神殿、広場、そして大規模な地下構造などの明らかになっているこの伝説的な古代都市の遺構は、宗教儀式と関連していることがわかっています。

発掘された遺跡のうち重要なものはトゥプキシュの王宮、これに関連する魔術のための地下施設(アビ Abi)、神殿が頂上にありその前に広場のある巨大な丘、住宅地区、墳墓群、市の外側の城壁と内側の城壁などである。

激しい風雨からの遺跡の保護が熱心に行われたことでも注目されていて、2006年にワールドモニュメント財団が危機的文化財リストに登録したことで、遺跡を守る公園の設立や防護シェルターの建設などを行っています。2011年にはアメリカ考古学研究所の遺跡保全アワードにてベストプラクティス賞を獲得しています。

ウルケシュの再発見:忘れられたフルリ人都市

参考:
 - ウルケシュ - Wikipedia
 - Tell Mozan | World Monuments Fund
 - Tell Mozan (ancient Urkesh)

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