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古代世界に広がったミトラのカルト

ミトラは光・純粋・善良・真実の神で、古代アーリア人の信仰において重要な位置を占めていました。

 

ミトラの広がり
ミトラ(ミスラ、ミトラス)のカルトの広がりについて様々な意見がありますが、最も信頼できるものは紀元前14世紀にミトラ崇拝について初めて書かれた儀典(プロトコル)です。

強大なミタンニ国(ミタンニはアルメニア台地の北に位置していた)の王Shativaza(生年不詳~紀元前1350年)と、ヒッタイトの王シュッピルリウマ(紀元前1380年~紀元前1346年)との間に結ばれた条約文に、ミトラの名前を見ることができます。そしてミトラ崇拝はペルシャの楔形文字碑文や紀元前4世紀のインドのヴェーダ文書で言及されています。

西暦395年のサーサーン朝ペルシャの王アルダシール2世の宗教革命の結果、ミトラやイランの女神アナーヒターのカルトがペルシャに持ち込まれ、ゾロアスター教と結び付きました。紀元前1世紀にはミトラのカルトはローマへと進出し、西暦3世紀にこの宗教は国際的なものとなり、インドから黒海、バルカン半島からブリテン島やスペインにまで広がりました。今では400以上のミトラ聖堂の廃墟がヨーロッパ中に残されています。

つまり最初は、紀元前4世紀にこのカルトがアルメニア台地から南ペルシアとインドに広まり、紀元前1世紀にヨーロッパ北西に広まったのです。

 

ミトラの神殿
アルメニア北部Derjan地域(トルコ領東部)のBagaritch村にミトラ(またはミフル)の主聖堂が建てられました。ガルニの神殿もまたミトラのカルトに捧げられました。

ミトラに捧げられたガルニの神殿。 (Via Lilit Mkhitaryan)

アルタシャトの町には、Arsacid Dynastyのアルメニア王ティリダテス1世によって西暦1世紀に再建された黒大理石から造られたミトラ教神殿の廃墟が埋もれています。

ミスラの像はネムルト山(トルコ南東部)にあるアンティオコス1世の墓近くに座しています。キリスト教以前のアルメニア神話における創造神アラマズドの左側に座っているのを見ることができます。

ネムルト山の廃墟の東テラスにある、コンマゲネ地方の神々。 (CC BY 2.0)

ネムルトのミトラ像。 (Via Lilit Mkhitaryan)

古代アルメニアの『サスーンの命知らず(Daredevils of Sassoun)』という叙事詩でもミトラのキャラクターを見ることができます。

古代の彫像でミトラは多くの場合、フリジア帽またはアルメニア帽を着けて神聖な雄牛を殺す強大な若者としてしばしば描かれ、タウロクトニー(tauroctony、雄牛殺し)と呼ばれます。

雄牛を殺すミトラ。 (CC BY-SA 3.0)

アルメニアの神々の中でミトラは光と純粋の神でした。ミトラに捧げられた神殿はアルメニアの古代首都アルマヴィルにもあったと考えられています。

ミトラのカルトは紀元前4世紀に消え始めました。

 

ミトラの伝説
アルメニアの古代信念によると365の聖人が太陽の中心に住んでおり、悪を阻むために彼らのそれぞれが一年うち一日の所有者でした。

塩の海(ヴァン湖)の中に岩があり、天国が暗くなった時に 光が岩の上に落ちてまもなくミトラが生まれたと言われ、ほぼ裸だったが頭にフリジア帽を着け左手に松明を持ち世界を照らした。雄牛を殺すことで、その部分からミトラは世界を創造しました。

岩より登るミトラ。ローマで見つかった、大理石製。西暦180~192年。 (Public Domain)

アケメネス朝の統治の間、アルメニアの総督はミトラの年次祝祭に20,000頭の馬を寄贈したことをストラボンは記しています。ミトラに捧げられた観測はアルメニア人によって、イラン暦のミトラの月と一致するAregの月に祝われました。アルメニアの第7の月はMehekan(ミトラの祝祭)と名付けられ、各月の8日目はミトラと呼ばれました。

 

岩の誕生
光と慈愛と契約の神ミトラは実際に岩から生まれました。この特徴は考古学的発見またはアルメニアのゲガルド神殿によって認められており、岩場の景観に刻まれている。

1953~54年Eskikale(トルコ)の調査中に、2つの円形の部屋に続く長い山の斜面からなる深さ160mに達するトンネルが発見されました。これはミトラに捧げられた神殿があるアルメニア北部のBagaritchのトンネルに似ています。

神話的な視点から見ると、『光線は星々から離れてトンネル深くに差し込み、ミトラを生み出して彼は天国に昇った』と言われるように、トンネルはミトラが生まれた場所です。岩に彫られたゲガルド神殿もまた、キリスト教以前にはミトラの出生地だと考えられました。

13世紀のアルメニア修道院、ゲガルド神殿の石窟部屋。 (CC BY-SA 2.0)

ヴェーダ文書におけるミトラのカルト
ヴェーダ文書においてミトラは太陽を守る神で、常にヴァルナとともに言及されます。

インドの文献でミトラは愛・光・優しさ・太陽光の神です。ミトラとヴァルナの親密さや愛情は切っても切れない不変なものです。ヴァルナは天国と夜の神で、ミトラは光・太陽光・昼の神です。これら昼と夜の神はカルト儀式の仲間同士です。ヴァルナは水と海の神でもあり、ワインの神Varunの夫です。

ヴァルナ (Public Domain)

ヴェーダ文書は、ヨーロッパに浸透した雄牛の生贄のようなミトラ教カルトの主な儀式で知られています。最も崇高な神々の一柱はソーマ(ゾロアスター教の宗教文書の主要なコレクションであるアヴェスターにて、彼はハオマと名付けられている)。ソーマは無敵の力の神で、すべての病気を治す神です。生命・富・願いの成就を与えるのはソーマです。

サンスクリット語で、ソーマという名前は月に用いられます。名前は同じですが、月のすべての特性は植物の女神に由来します。そのため、古代インドの人々は月が癒やしの植物、すなわち生贄となる奉納品や崇拝儀式の捧げ物を統括したと考えています。

ヒンズーの月神、ソーマ。 (CC BY NC SA 2.0)

ソーマはまた聖なる植物の名前でもあります。この植物の葉から神々に愛され捧げられた強いアルコール飲料が作られました。儀式の間、司祭は神々に近づき結びつくためにこの飲料を飲みました。ソーマは生命の神であり生命の本質であり、神々はこの飲料から永遠性を得ていましたが、定命の人間もこの飲料を飲むことによって寓意的に神と本質との結合を意味する一時的な「永遠」を達成することができました。

伝説によると神々の間に暴動が起こりました。シヴァ神は恐ろしい戦いに関与し、一撃で神ソーマを真っ二つにしました。これは神聖な雄牛殺しを明示します。

別のバージョンでは神々はソーマを殺すことを決定します。神ワユウは処刑を命じてミトラ=ヴァルナに助けを求めました。ミトラは助けを拒否し、『私は全ての者への愛情、恩恵、親愛を望む』と言いました。最後には生贄から利益を得るためにミトラは儀式的殺害に参加することに同意しました。殺害の後、彼らはソーマを2つの石に砕きました。彼のソーマ・ジュースの一部を地面にこぼすのはミトラの責任で、そこから植物や動物が生まれました。

雄牛生贄儀式の絵や彫像で、ミトラはしばしば顔や目をそらすように見え、この行動は拒絶や嫌悪感を示しています。しかし雄牛は生命の源で、儀式は必須なものです。

原文:Ancient Origins

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